【県内には那須や高根沢に現役の御用邸が。日光田母沢御用邸の建物には歴史を感じます。】6/19
初めて見る御用邸のなかは興味津々ではあったが、大方は予想の範囲・・・建物の中から見る景色が違う程度。○○の間、○○の間という部屋が「奥向き23室と、臣下向き83室」の合計106室と数多くあり、これまで見てきた武家屋敷やお城などと似ている気がする。
詳細は最後に「うんちく」を載せましたのでご覧ください。とてもケン坊には説明するのは無理ですからね。写真の説明だって覚束ないんですから~。
↑ 御用邸の正門。朝10時前でしたが観光客が入って行きます。この後も団体さんが・・・
↑ 荘厳な”お車寄せ”。館内へはココから入ります。入園料@500円、駐車料200円(2H)。
↑ 入園料を払うと直ぐの場所に、平安時代の宮中七夕祭りの場景が再現されていました。
↑ 御用邸に使われた瓦や建築物に関した資料の間に続いて・・・まさかの「御玉突所」。
↑ 奥向きの部屋で「謁見所」。
↑ 「御日拝所」。部屋が皇居に向いており、「皇居に向かって拝礼」するのが日課とか。
↑ 取次ぎの間、御座所からみた「中庭」。
↑ 「御学問所」から見た庭園。
↑ 御用邸のなかに売店が・・・御用邸に絡む商品だけが対象なのか?
↑ 折角なので「金つば(6個入り800円)」を土産に。魔女に高いと言われましたが・・・
↑ 菊の紋が入った「金つば」です。甘さ控えめで思ったよりも美味しかったです。
庭園も、最初に払った入園料に含まれています。つまり、外から(無料で)庭園だけを見るということは出来ないようになってました。当たり前と言えば当たり前ですが・・・>笑<
庭園の一部は、前回の「ナスヒオウギアヤメ」と一緒に掲載しましたので割愛です。
↑ いきなりの防空壕。庭園に歩いた範囲では2ヵ所ありました。
↑ 庭園から見た「御学問所?」と県花のヤシオツツジに松
↑ 樹齢400年といわれる枝垂桜。
↑ 庭園から見た「謁見所」だったかな? 庭園に出たら何の部屋だったか思い出せず。
【うんちく】ネットより
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時の皇太子)のご静養地として造営されました。
その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。
戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、現存する明治・大正期の御用邸の中では最大規模のものです。これらの建物や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を垣間見ることができます。
平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。
初めて見る御用邸のなかは興味津々ではあったが、大方は予想の範囲・・・建物の中から見る景色が違う程度。○○の間、○○の間という部屋が「奥向き23室と、臣下向き83室」の合計106室と数多くあり、これまで見てきた武家屋敷やお城などと似ている気がする。
詳細は最後に「うんちく」を載せましたのでご覧ください。とてもケン坊には説明するのは無理ですからね。写真の説明だって覚束ないんですから~。
↑ 御用邸の正門。朝10時前でしたが観光客が入って行きます。この後も団体さんが・・・
↑ 荘厳な”お車寄せ”。館内へはココから入ります。入園料@500円、駐車料200円(2H)。
↑ 入園料を払うと直ぐの場所に、平安時代の宮中七夕祭りの場景が再現されていました。
↑ 御用邸に使われた瓦や建築物に関した資料の間に続いて・・・まさかの「御玉突所」。
↑ 奥向きの部屋で「謁見所」。
↑ 「御日拝所」。部屋が皇居に向いており、「皇居に向かって拝礼」するのが日課とか。
↑ 取次ぎの間、御座所からみた「中庭」。
↑ 「御学問所」から見た庭園。
↑ 御用邸のなかに売店が・・・御用邸に絡む商品だけが対象なのか?
↑ 折角なので「金つば(6個入り800円)」を土産に。魔女に高いと言われましたが・・・
↑ 菊の紋が入った「金つば」です。甘さ控えめで思ったよりも美味しかったです。
庭園も、最初に払った入園料に含まれています。つまり、外から(無料で)庭園だけを見るということは出来ないようになってました。当たり前と言えば当たり前ですが・・・>笑<
庭園の一部は、前回の「ナスヒオウギアヤメ」と一緒に掲載しましたので割愛です。
↑ いきなりの防空壕。庭園に歩いた範囲では2ヵ所ありました。
↑ 庭園から見た「御学問所?」と県花のヤシオツツジに松
↑ 樹齢400年といわれる枝垂桜。
↑ 庭園から見た「謁見所」だったかな? 庭園に出たら何の部屋だったか思い出せず。
【うんちく】ネットより
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時の皇太子)のご静養地として造営されました。
その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。
戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、現存する明治・大正期の御用邸の中では最大規模のものです。これらの建物や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を垣間見ることができます。
平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。
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2枚目の写真にある玄関にそっくりな建物を川越で見たことがあります。それは川越城本丸御殿といます。嘉永元年(1848)時の藩主松平斉典が造営したもので、川越城唯一の遺構です。当時の大名屋敷の玄関はみんなこんなに立派だったんですね。
【長さんへ】
おはようございます。
川越にもありましたか。川越城本丸御殿と同じですか・・・凄い玄関ですよね。見応えのある建築物です。
大名と庶民との格差・・・何となく現在の格差社会という活字を想像しちゃいます。
おはようございます。
川越にもありましたか。川越城本丸御殿と同じですか・・・凄い玄関ですよね。見応えのある建築物です。
大名と庶民との格差・・・何となく現在の格差社会という活字を想像しちゃいます。
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