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ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
初めて見た”烏森神社”の不思議(in西那須野)
2011-10-02-Sun  CATEGORY: 矢板・大田原・烏山・黒羽
23/08/06【桜の花も県内有数の場所と聞いているが...ならば、下見をしておこう】

2ヶ月近くも前のこと...県民の森でレンゲショウマを見た帰りのことです。
恒例によって、寄り道したときの話...2ヶ月近くになってしまいましたが...


どれが本当なのか判らんチン?

     ”烏森神社””烏林神社”?

            それとも ”烏ケ森神社”なの?     

現、那須塩原市の中心街に烏ヶ森公園はあります。桜の名所として知られていて、
桜の時期は大勢の人で賑わうというので、来る日のために下見という名の寄り道です。

この公園の小高い丘の上に烏森神社があります。那須野ヶ原の開拓に大きな役割を果たした
場所でもあるというので、先ずは最初に敬意を表して...。

ん?  烏森神社じゃないの? それとも烏林と書いて”からすがもり”と読むのかな?

まぁ~細かいことは良いか~

画像 689

台座から落ちてしまった”コン様”です。戻りたいと眼が訴えてますが...
最初、狛犬かと思いましたが、神社の前身が稲荷神社とのこと、コン様でしょうね?

画像 694

さらに数段の階段を登ると、朱塗りの神社がで~んと姿を現しました。

画像 693

境内には、源実朝の歌碑がありました。

「武士の 矢なみつくらふこての上に

            あられたばしる 那須のしのはら」



ここは源実朝の縁の地なのかな?

画像 690

そして、判らないままにブラブラしてると、公園としての必要なアイテムがアチコチに。

画像 698

華は端境期で見られませんが、節には綺麗な花が見られそうな予感がします。

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ケン坊が車を停めて入ってきた場所とは反対側(コチラが正門?)に、

烏森神社(からすがもり)の説明板が...

境内で見た”源実朝”の碑がやっと理解できました。”巻狩り”とはね~

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史跡 烏が森の丘(からすがもりのおか)の案内板です。

時の将軍”源頼朝”が巻狩りで、この丘に登ったとありました。

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暑さで花も身を隠し...わずかに木陰に”コバギボウシ”が顔を出してました

画像 695



【烏森神社の概要】
烏森神社の前身、烏ケ森稲荷神社は、902年(延喜2年)、上石上村(現 大田原市)の百姓田守が、烏ヶ森の丘の上に祠を建て、豊受姫命を祀り五穀豊穣を祈ったことに始まると伝えられています。

1193年(建久4年)、源頼朝の那須野ヶ原の巻狩の時に、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられています。

江戸時代から明治の初めにかけては上石上村の村社として守られてきました。1879年(明治12年)11月14日、伊藤博文と松方正義が、地元開墾発起人の印南丈作、矢板武等の熱意ある要請に応え、烏ヶ森丘上から那須野ヶ原を視察、開墾事業への協力を約束し、その成功を祈願しました。

1881年(明治14年)8月6日、明治天皇の名代として、有栖川宮熾仁親王が神社に参拝し、那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松を御手植えになりました。

社殿の「烏森神社」の扁額は親王の直筆です。

1888年(明治21年)4月5日、社殿が完成し、栃木県知事樺山資雄の出席の下、遷宮式が行われ、「烏ヶ森稲荷神社」は、「烏森神社」となりました。

また同時に神社を中心に松と桜を植樹し、公園化が図られました。1894年(明治27年)5月6日、松方正義、佐々木高行、佐藤暢知事等が出席して、那須開墾社の開墾成業式が神前で盛大に行われました。

以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っています。

祭神は、天照大神・豊受大神・倉稲魂命・印南丈作大人命・矢板武大人命です。印南丈作、矢板武が祀られているのが、他の神社とは異なる所です
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