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ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
国重文の”野木町煉瓦窯”は修理へ(in野木町)
2011-08-07-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
23/07/23【歴史ある勇姿を見るのは今回限り...3年後?には修理後の煉瓦窯に変身!】


    未来に残そう”野木町煉瓦窯”の勇姿

     (ケン坊たちは、この煉瓦窯を”煉瓦場”とか”シモレン”と呼んでました)


日本に現存するホフマン式輪窯は、わずか4基のみで、
中でも円形型なのは野木町にあるものだけです。(他は長方形または楕円形)
 ・埼玉県 日本煉瓦製造㈱ (重文)
 ・滋賀県 中川煉瓦製造所 (登文)
 ・京都府 神埼コンクリート㈱  (登文)


この勇姿...好きな絵(写真)です。
場所は、”渡良瀬北斗乗馬倶楽部”という乗馬クラブの敷地内にあります。
(後日の紹介です...いや予定です)
画像 171

今回は、野木町の”ひまわりフェスティバル”と同時開催で、ウォーキングコースとしてPRした
のが功を奏したのでしょう、普段は閑静なこの地は賑わってました。

画像 107

数年前に、ここ煉瓦窯の所有者だった”シモレン”が破綻し、歴史ある”煉瓦窯”の行方が
案じられていたが、どうやら野木町が買い取って管理することになったらしい。

この煉瓦窯は今年の9月から改修に入り、その勇姿を再び見せてくれるのは3年後ぐらい
らしい。補修されちゃうと...現役時代の煉瓦窯の姿は今回が最後のチャンスです。

画像 319

受付を済ませ、さてどうする? 居ましたよ”ボランティアのガイドさん”が...。一般公開
するために、煉瓦窯を説明するボランティアを育成したとか言ってました。

折角なので、ボランティアさんの説明付きツアーに参加することにしました。(無料です)

画像 150

あれ~ かなり崩れちゃってるけどどうしたの? 3月の震災にやられたのかな?

前述の、赤レンガ製造販売会社のシモレン(下野煉瓦製造会社)が、ここを補修中に破綻
しちゃって、補修もそのままになってしまったとのこと。

ちなみに地震の影響ですが、東日本大震災の本震では無事だったものの、4月の余震で若干
崩れかけたようです...その様子は後ほどご覧に入れます。

昔はこの窯は東西2つ並んで建っていたそうで、関東大震災の時に、西窯が倒壊してしまい、
この窯(東窯)だけ残ったんだそうです。それがコレ ↓

画像 118

煉瓦窯は、形が16角形で16個の出入り口があります。この入口 ↓ は第一号です。

画像 148

上と下の2枚の写真のレンガの積み方が違うのが判りますか?

煉瓦を縦・横交互に積む方法と、段毎に、縦だけ横だけと交互に積む方法です。どちらが
フランス積みだったか、イギリス積みだったか”うろ覚え”です...

上の写真がフランス積みで、こちら↓が”イギリス積み”かな?

画像 149

いよいよ窯の中に入ります。もちろんヘルメットして...ガイドさんの説明に熱心に
頷きながら、指差すほうを見ながら”あぁ~”とか”ほんとだ”とか言いつつ...

画像 135

この”つっかえ棒”で支えている部分が、4月の余震で落ちかけたんだって...怖~!
見学中に崩れ落ちないことを祈るだけ...

画像 136

次に2階部分に入ります。完全に土に還ったような階段(もともと土?)を登ります。

画像 139

1階の天井にあった”投炭孔”が、2階では床の部分に(当たり前ですね)なります。

画像 140

投炭孔の蓋...蓋といってもこんな↓形をしています。いかにも重そうですが...

画像 158

煉瓦窯の16角形屋根の梁を支える柱は5角形です。
4角形よりも5角形のほうが、過重に耐えられるんでしょうね。

画像 141

これが中央の煙突の部分です。

画像 142
屋根の上に出た煙突です。やはり煉瓦です...
画像 152

これはご存知のトロッコレールです。内回りと外回りの説明がありますが...イマイチ?

画像 146


煉瓦窯に関する資料コーナー

野木町煉瓦窯とはこんな形です。

画像 159

資料室に貼ってあったコノ↓写真。煉瓦の材料である土(粘土や砂)を船で運びます。
(左側の船頭さん...驚いています。ケン坊の青年時代に、本当にそっくりなんです)
ガイドさんの話しは、直ぐに飛んじゃって記憶が定かではありませんが、煉瓦は粘土95%に
砂が5%とか言ってたような...ないような...

再びビックリです。窯をこの場所に作った背景は、煉瓦に適した粘土が、
今の”渡良瀬遊水池”なんだそうです。遊水地は、この煉瓦窯に近い場所です。

渡良瀬周辺では、思川・渡良瀬川・与良川・巴波川・・・と、いくつのも川があり、土を
運んでくれる環境だったんですね~。煉瓦を作る材料が渡良瀬遊水地にあったんですね。

そして思川の砂...そう、ケン坊が小さい時に遊んでいた思川の砂も、煉瓦の一部に
なっていたとはね~  そして、思川を船で(煉瓦窯まで)運んだんですね。

画像 160

【焼成工程とは ↓】戴いたパンフレットから

①搬入 生乾きの煉瓦素地を積み上げる
②空気の流れを仕切るために、新聞紙を貼り合わせた大きな紙を窯と窯の間に張る
③焼成中の窯の3窯先の煙道より煙突へ排気されるよう、ダンパーを開ける。そうすることで
 空気が流れることになる
④熱風で次に焼成する窯の煉瓦を乾燥、余熱させる。
⑤2窯ずつ焼成する。焼成終了後、投炭を行う窯とダンパーの開閉部を一つ先へずらし、
 窯内の火が次の2窯へ送られる。
⑥窯内に空気を送り込む入口と、煉瓦を搬入搬出する入口のみ開けて、他の入口は煉瓦と
 泥を積み上げて塞ぐ

画像 162

ホフマン式輪窯は、ドイツ人のフリードリヒ=ホフマンさんと
いう人が開発
した”赤煉瓦焼成用の窯で、16区画の窯を順次、
循環・移動しながら窯詰・予熱・焼成・冷却・窯出の工程を繰り返すものです。

画像 165


最後にもう一度、野木町煉瓦窯を...

16角形の窯は非常に美しく、屋根・煙突が完全に残ってるのは日本では他にありません。

画像 182


【野木町煉瓦窯とは】ネットから

明治23年に建築され、昭和54年には国の重要文化財に指定、近代化遺産としても高い
評価を受けています。

この窯は明治19年、各官庁の近代化に伴い臨時建設局を設置し、その原材料の赤レンガ
増産の為、ここ下野煉瓦製造株式会社(シモレン株式会社)が、ドイツのホフマン技師が
発明した方法を利用し、周囲100m・16角形 高さ25mの煉瓦窯を作りました。

当時、敷地内には東窯・西窯の2つの窯が有りました。現存するのはその内の東窯です。

煉瓦を作る為には良質な粘土と川砂が必要で、この付近は渡良瀬遊水地が有り粘土と砂に
恵まれ、また作った煉瓦を運送する手段として水運・鉄道が完備されていて、絶好な立地
条件だった様です。

最盛期には、月産40万本の煉瓦が生産され、東京各地に鉄道や水運・馬輸送で賑わって
いたそうで、なんと!昭和46年まで現役として煉瓦を作っていました。
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コメント

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コメントkimichan | URL | 2011-08-07-Sun 05:36 [EDIT]
おはようございます
以前深谷の煉瓦窯を見に行ったことがあります
無料公開してました
後々まで保存してほしいですね


効率的
コメント長さん | URL | 2011-08-07-Sun 08:27 [EDIT]
以前に紹介されていた野木町煉瓦窯ですね。その形の理由がよく分かりましたよ。大変効率的な釜だったんですね。
ボランティアガイドさん、黄色のTシャツですね。夢の島熱帯植物館のガイドさんも黄色でしたよ(なんて変なところで共通点を探しています)。
ケン坊さんの若き頃に出会いましたか。もしかして、父上か、おじいさんか、それとも親戚かも。
3本レール、この外側に更に3本のレールがあるんですね。
宇都宮はゴロゴロしてます
コメントケン坊 | URL | 2011-08-07-Sun 18:16 [EDIT]
【kimichanへ】
こんばんは。
大雨警報が出てますが...如何ですか?
そうでしたよね、深谷にあるんですよね。ホフマン式が...
チャンスがあったら行ってみたいです。
こういう施設というかは後世に残して欲しいですよね。
流石、ホフマンさん!
コメントケン坊 | URL | 2011-08-07-Sun 18:28 [EDIT]
【長さんへ】
素晴らしかったです。見に行ってよかったです。
”れんがば”も”思川”も”渡良瀬”も...とっても身近だったのに、
この煉瓦窯を見学するのは初めてだったんです。
これで、気になっていた場所を一つクリアできました。
そうですね! 親戚ってこともあったか~...
トロッコのレール...読解力がなくて^^;
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