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ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
弓の名人那須与一・北の庄:第四弾(in大田原)
2011-03-12-Sat  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【昔、与一マラソン(20㌔コース)の折り返し地点が与一の墓(お寺)でした...】3/4

 地震の被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます

        弓の名人とは那須与一の代名詞

那須与一の菩提寺がある大田原市。大田原市には那須与一を称えるかのように、弓取り姿や
関連する景観がアチコチに見られます。

北金丸のザゼンソウ群生地を観た後は、ここ”道の駅 那須与一の郷”に寄ってみました。
特に道の駅での買い物は無いが、トイレ休憩を兼ねての寄り道です。

当然のように道の駅の案内板の上には、どう見ても”扇”ですね。地域挙げて”与一”です。

画像 810

道の駅の駐車場に目立っているのは”那須与一像”です。もちろん、馬に跨って矢を射る勇姿。
この日は風が強く肌寒い状況ではあったが、青空に素晴らしい勇姿をケン坊に見せてくれた。

”八百万の神よ 願わくば あの扇の的に ~~~”と祈って矢を放ったのでしょうね。

画像 812

池の奥側は”道の駅”ですが、どの屋根も扇形をしています。扇の部分と要の部分が交互に。

画像 813

道の駅の建物群の一番左には、”与一伝承館”。少し覗いて見たかったが旅の続きもあり…

画像 842

おぉ~ 足元に目をやれば...マンホールの蓋まで”那須与一”だ。徹底していますね。
これじゃ 与一がコケたら市もコケちゃうのではと不安になりますねが大丈夫でしょう。

画像 845

そして、ケン坊が向った先は道の駅から走ること12~13㌔のところにある”玄性寺”。
そうです。那須与一のお墓があるという「玄性寺」に寄ってみました。
歴史を感じるお寺さんでしたが、お坊さんは住んでいないのでしょうか? 人の気配が全く
せず、静まり返っていました...。

画像 847

駐車場も梵鐘も整備されて間がないのか、歴史どころか木の色が新し過ぎて与一の墓を見る
のに力が抜けてしまった感じです。

画像 846

それでも、折角ここまで訪ねてきたので”お墓”の場所だけでもと、境内に足を踏み入れた。
北金丸で見た”ピンクノコヤナギ”が、小さなお地蔵さんを覆い被っていました。

画像 849

そして、境内の真ん中から階段があって、真っ直ぐ登ると”稲荷神社”へ。
右に折れて坂を登る(10㍍程度)と墓地がありました。
那須家の墓地には七基の墓碑がありました。(もちろん他家の墓もありますが...)
墓地の前には小屋が建てられ、そこにお線香を手向けられるようになっています。

画像 851

那須家の墓地の右側には顕彰碑が建てられています。”那須与一公を讃える”との文字が。

”見よや あっぱれ 与一公 三国一の晴れ姿 

          八百年の後までも そのいさおしは伝えある”


画像 852

境内の奥に目をやると、弓道場がありました。正に那須家縁の寺ですね~。
今でも生徒がいるのでしょうか?

画像 856



【ネットから】
那須与一は、源氏と平家の「屋島の戦い」にて、平家が立てた扇の的を見事に射落とした
ことで有名な源氏方の武士です。

しかし残念ながら、それ以外のことについては詳しい記録が無いようです。生没年さえも
あやふやで、お墓もあちこちにあります。

嘉応元年(1169年)-1189年?の人だったようですが、生没年ともいくつか説があります。
お墓で比較的有名なのは、出生地に近い栃木県大田原市の玄性寺、京都東山の即成院、
神戸市須磨区の北向八幡神社(那須神社)、岡山県井原市野上町などです。

どうやら京都の即成院で亡くなり墓が作られ、後に分骨して栃木の玄性寺に墓が作られたと
言う説が有力なようです。

神戸市の北向八幡神社(那須神社)は、ここで亡くなったと言う別の説から来てるようで、
岡山県井原市の物は、扇の的を射落とした功績で、この辺りの土地を荘園として拝領した
からのようです。

源平の戦いで有名なものとして、「屋島の戦い」と「壇ノ浦の戦い」があります。 那須
与一は「屋島の戦い」の時に、「揺れる舟の上の扇の的を射よ」との平家の挑発に源氏の
代表として、この難しい的を射ることに成功しました。

矢が的を射たことで源氏の武運が勝ると見られ、平家が没落していきます。さらに、「壇ノ
浦の戦い」で平家が決定的な滅亡を迎えます。その「大事な転換点」になったのが、平家
物語の「那須与一の扇の矢」です。



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コメント

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先祖
コメント長さん | URL | 2011-03-12-Sat 10:11 [EDIT]
大田原市は那須与一のゆかりの地でしたか。
実は母方の実家(浅利姓、山梨県)は源氏の末裔の住み着いたと言われる地にあり、昔から那須与一の末裔という言い伝えがあります。ただし、与一と同世代の人物に浅利与一という名の人がいたようなので、那須与一と混同して伝わった、あるいは、有名な那須与一の方にしてしまった、という可能性もあるのではないかと想像しています。言い伝えなので、どこまで本当か分かりませんが、もしかしたら私にも那須与一の血が流れているのかもしれません。
この道の駅や玄性寺には是非行ってみなければなりませんね。
世が世であれば...
コメントケン坊 | URL | 2011-03-12-Sat 21:11 [EDIT]
【長さんへ】
与一の血が流れてる? もしソウだとしたら凄いことですね~
世が世であればですかね。一度、系図を確認されたら...
この手の話(お墓)はアチコチにあって、この墓地も、京都の
墓から分骨されたとも言われています。
一度、大田原に墓参されると、また違った発見があるかも?
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