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鹿沼市の”東高野山 醫王寺” その3:客殿、講堂 編
2012-08-25-Sat  CATEGORY: 寺社仏閣(その他)
24/07/03 【1300年前に勝道上人によって開山された寺...歴史を感じますね~】


     ここまで仁王門、金堂そして唐門と素晴らしい

      歴史ある建築物を見させていただきました

     こんな田舎(失礼!)に素晴らしいお寺が...


   いよいよ境内の”客殿と講堂”のご紹介です!


      ”事相専門道場”と書かれた門を潜り境内へ
(事相:実際修行の方法はいかにすべきかを説明する方面をいう...判りません)

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              門を潜って右手に進むと

          これが切妻で瓦葺きの”鐘楼”です...

       さほど大きくはありませんが存在感を感じます

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           そして鐘楼の左奥には社務所

  手入れされた植木の中に佇む雰囲気が良いですね~

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          次いで足を運んだのは客殿...

 「百坪に及ぶ大建築で数奇を極めた菊の間は、

       別名”宮様の間”」というらしく立派な建物です

【醫王寺客殿の概要】ネットから

醫王寺客殿は貞享5年(1688)に建てられた建物です。木造平屋一部2階建て、
寄棟(正面左側は2階建てで寄棟の屋根が切り落とされています)、銅板葺き
の建物で、桁行き13間と醫王寺境内の中で最大の規模を誇ります。

内部は客間や2階部分以外は基本的に間仕切り壁がなく、襖や板戸などで区
切られ、全てを開放すると130畳以上の大空間となっています。

客間は面皮柱、欄間、長押、引手などに繊細な意匠が施され質素ながら格式の
高い雰囲気を出しています。

醫王寺客殿は当時の建築を伝えるものとして、栃木県指定重要文化財に指定
されている。



     2度目の魔女は案内役を買って出ます...

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               部屋の中を覗くと...

      客殿の奥に神棚のようなものも見えます?

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             間違いなく神棚ですが

   神棚に貼られた紙には今年の干支”辰”が...

恵比寿様の人形ケースや招き猫、人形や破魔矢、土鈴?

   少なくても当時の神棚では無いような気がします

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         客殿の庇のところには”不老”の額が

       新しそうで古そうで...意味も判りません

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               客殿と講堂の間には...

      樹齢350年という”楠の木”がまだまだ元気に

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   客殿の隣には、客殿と同様大きな”講堂”があります

          江戸時代初期に建てられたものです 

【醫王寺講堂の概要】ネットから

醫王寺講堂は正保2年(1645)~元禄5年(1692)に建てられた建物で
寄棟、銅板葺き(元茅葺)、桁行き12間ある大型木造建築です。

内部は内陣、外陣、脇陣に分かれていて四周の入側をまわし、当時の道場
建築を伝えるものとして栃木県指定重要文化財に指定されています。

醫王寺講堂の平面は26㍍×16㍍に及ぶ大堂で、真言宗の大法である
伝法大会や、伝法灌頂等の道場として江戸初期に造営された。

寄せ棟カヤ葺き風銅屋根も豪壮で、内部は四周の入側、内陣、外陣の鏡板
等に常法檀林(地方大学)の風格をよく伝えている。


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      入口の庇には朱塗りの額に”講堂”の文字が
           (筑波山隆光大僧正の御真筆だそうです)

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           ガラス戸の中はこんな感じです...

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   ここで”光明真言”についてお勉強!ネットの助けを借りて

”光明真言”は、23文字の短いお経ですが、これを一心に唱えると、すべての
 わざわいを取り除くことができるという、かなり強力なパワーのある真言です。
 そして真言宗の中でも重要な真言です。


      ”おん あぼきゃ べいろしゃのう まかほだら

       まに はんどま じんばら はらばりたや うん”

”光明真言の意味”説明書から

       「大宇宙の”いのち”である大日如来様 
               すべての罪障を滅し仏のみちにはいれますよう」


           P1100884.jpg

      そしてガラス戸の奥に”醫王寺”の扁額が...

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      一番奥に”弥勒菩薩坐像”が安置されてます

本堂内春日厨子は、かつて本尊を安置していたと言われる旧厨子で、現在は、
講堂内に弥勒菩薩坐像(県指定)を納めて安置されています。

総体が漆塗りで、観音開きの両扉内側には、菩薩と神将らしき仏画が描かれて
いたあとが残っています。

内部の天井に、康応(こうおう)2年(1390)の墨書銘があることにより、
室町時代初期制作の貴重な文化財で あることが知れます。

特に台座の格座間(ごうざま)の操(刳り)形には、当時の簡素で力強さを
備えた特徴がよく現れています。


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  修復から額装され戻ってきた”戸張”下野新聞記事から抜粋

醫王寺の金堂で改修工事をきっかけに発見され、修復に出されていた「戸帳」が、
額装された形で同寺に戻ってきた。

傷みが激しく残っていたのは半分ほどだったが、徳川家の「葵紋」が縫い取られて
おり、同寺は「発見は奇跡的だった。

戸帳は、仏像を安置する厨子などにかける布のこと。同寺は、薬師如来像をまつ
った「金堂」の保存修理工事を2008年に開始したが、その準備中に厨子から
丸めた状態で出てきたという。

戸帳はネズミにかじられるなど全体的にはかなりぼろぼろの状態だったが、上質
の錦で作られ、高級な絹糸で刺しゅうされた「三つ葉葵」がはっきり残っていた。

同寺は江戸時代に50石、大名並みの格式を持つなど徳川幕府とのつながりは
深かった。国立恵俊住職は「戊辰戦争や明治維新の時、官軍などから危害を
加えられることを懸念して(戸帳を)隠したのかもしれない」と推理する。

修復は日光観音寺の千田孝明住職の紹介で茨城県の専門家に依頼。劣化が
激しいことから、木の板に破片を丁寧に貼り付ける方法をとった。完全な形は
戻らなかったが、半分ほど残っていた布片の貼り付けが完成し寺に戻った。



        良かった~ ”戸張”の写真が撮れました

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        ガラス戸に住職さんからこんな案内が...

         ”亡くなられた方に 手紙を書きましょう”

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    下には”手紙をあの世へ届けるポスト”がありました

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     境内には”樹齢1000年の榧(かや)の木”が...

           P1090420.jpg

    青い榧の実が顔を覗かせて...初めて見ました

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         境内の外に回って振り返ると...

      榧の木も見事な景観の一部になってます

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    いよいよ次回の最終回は”大師堂と地蔵堂”です



【振り返りコーナー】

その1:醫王寺の仁王門と金堂

その2:醫王寺の唐門

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