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ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
国指定史跡”飛山城史跡”公園(in宇都宮市)
2012-02-24-Fri  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
24/02/15&21撮影【ありました...ハンターさんが見たという富士見の絶景ポイントが】


          平成17年3月、国指定史跡となり

  中世の城として”飛山城”が現代に蘇えった
         (お城は再現されていませんので誤解されませんように...)


      その昔、飛山城はこの高台にありました
                  (鬼怒川から見た飛山城跡です)

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  史跡公園駐車場にある”とびやま歴史体験館”

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         そして”案内役のトビーくん”です

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飛山城の史跡をジオラマで位置確認し...

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飛山城跡の案内板で歴史を理解す...

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飛山城入口はこんな感じです いよいよ入ってみます

           今日は中世の城を勉強です

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【木橋(きばし)】ネットから
飛山城には、堀をわたるための木橋がかけられていました。戦闘時には、この木橋を
破壊することで敵の侵入を防ぐこともできます。
堀にかけられた橋には、木橋のほかに、土を積んでつくった土橋や石でつくった石橋
などもあります。飛山城では、木橋が2か所、土橋が5か所復元されています。


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【櫓台(やぐらだい)】パンフレットから
土塁の角部などには土塁の幅が広くなっているところがあり、櫓台と呼ばれています。
橋や堀をわたってくる敵に対して、「横矢掛け(よこやがけ)」ができるように工夫
されています。
飛山城には堀への張り出し部が5ヵ所確認されており、それらは櫓台と考えられます。


ここ(↓)は、土塁登りの体験ということから傾斜が緩やかになっているとのことです
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【桝形(ますがた)】ネットから
6号堀の木橋をわたり次の5号堀にむかうところに、桝形がもうけられています。
これも敵の侵入を防ぐためのもので、コの字や己の字の形に道を曲げたり、門と門の
間に人のたまる空間をつくったりして、敵の動きを止め、これをまわりの土塁上など
から攻撃したのです。


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【門(もん)】ネットから
門は、屋敷地をめぐる塀(へい)や垣(かき)などに、通行のためにつくられた施設です。
飛山城跡の発掘調査では、 門の土台石である礎石(そせき)と柱穴が発見されています。
これらにもとづいて、「塀重門(へいじゅうもん)」という形式の門を復元しました。


【塀重門(へいじゅうもん)】とは
平安時代おわりごろの武家屋敷(ぶけやしき)で、初めて使われるようになった門の形で、
古くは「塀中門」と書きました。
門の上部に屋根や冠木(かぶき)がついていると、家臣が通行するときに旗(はた)や
槍(やり)を倒さなければならず不便なため、2本の柱の間に2枚の扉(とびら)を入れた
だけの門がつくられたのです。
これからあと、この門は武家のシンボルとして広く使われるようになりました。


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【将兵の詰め所】ネットから
このあたりは、発掘調査で掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が多数確認された
ところです。おそらく、将兵の詰め所があったと考えられます。
これらの建物は、壁(かべ)が土でできており、屋根の上に石をおいた板葺屋根(いたぶき
やね)であったと考えられます。


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【古代の竪穴建物】ネットから
飛山城の発掘調査では、平安時代の竪穴建物跡が12軒みつかり、その中の1件から、墨
(すみ)で 「烽家」 と書かれた須恵器(すえき)の坏(つき)が出土しました。
「烽家」は「とぶひや」と読む。「烽」は「のろし」、「家」は「施設」という意味で、
この場所が「のろしを上げる施設」であったことを示しています。


飛山の語源を「とぶひのやま」ではないかという説もあります。
なお、古代の法律のひとつ『軍防令(ぐんぼうりょう)』には、のろしを上げる施設には
その材料をたくわえておく「舎(しゃ)」という建物をおくように定められています。
飛山城でみつかったこの建物が、この「舎」であるかもしれません。


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古代のかまどを再現してますが、隣の消火器は現代のものです>笑<
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【中世の竪穴建物】ネットから
このあたりは、発掘調査で大型の竪穴建物が集中して見つかった場所です。倉庫や兵士の
詰所(つめしょ)があった場所と考えられます。
これらは、人ひとりが十分立てるような深さのある、半地下式の建物です。
調査では、この中から常滑(とこなめ)の大甕(おおがめ)や瀬戸(せと)の卸皿(おろし
ざら)などの陶磁器(とうじき)のほか、小札(こざね)や轡(くつわ)などの鉄製品が
出土しました。


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この奥の少し高い芝生の広場辺りに城があった?

*芝生の奥「北の崖」が崩れて現在は入れません!

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【西の崖(がけ)】ネットから
飛山城のすぐ西側には、鬼怒川(きぬがわ)が流れています。鬼怒川は飛山城の堀の役目も
はたしていて、登ることができないほどの急な崖になっています。
ここからは、宇都宮のまちの様子が一望でき、その先の美しい山並みも望めます。芳賀の
殿様は、ここからどんな思いでこの景色をながめていたのでしょう。
また、ここから南西の方向には、冬の朝と夕方に富士山を見ることができます。このため、
国土交通省関東整備局がすすめる「関東富士見百景」にえらばれました。


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今日は見えません...見えたのは日光連山!
         (手前の街並みは宇都宮市街、その手前は鬼怒川です)

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        中世の城”飛山城”は如何でしたか?
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