ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
錦着山公園(in栃木)
2010-01-31-Sun  CATEGORY: 公園・その他の公園
【40年数年振りかな~】1/16(土)

錦着山といっても小高い丘(標高80㍍)でとても山と言えるものではありませんが、ツツジの季節には全山が赤く燃える(以前は)イメージが残っています・・・あれから何十年、最近のツツジはどうなっているのかな?

確かにツツジの木は多かったですが・・・今年は節になったら久しぶりに覗いて見ようかと思います。もちろん桜の木も多く桜の季節には良い景観が。ただ、隣に(桜の名所)大平山があるので、目立ちませんが・・・

今日は大平山を歩いたついでに立ち寄ったので、足腰の疲れも手伝ってか、こんな低い丘でも何となく億劫になってしまう状態ではあったが鞭打って階段を登って山頂へ。

【ワンポイント】
「錦着山には栃木市と下都賀郡に於ける「西南、日清、日露の戦役、上海、満州、日支事変」等の戦病没勇士の霊を祀った護國神社がある」とのことです。

画像 100
↑ 歴史を感じる建築物。錦着山に「護国神社」があるとは知りませんでしたが・・・
画像 398
↑ 軍艦を模った碑に「同期の桜」の歌詞が・・・思わず口すさんでしまいました
画像 399
↑ 錨の碑には「七つの海は桜に錨」。慰霊塔の中は納骨堂になっているようです。
画像 396
↑ この施設については説明が無かったが・・・「灯台」をイメージして作られたらしい。
画像 102
↑ この碑は「日露戦役忠魂碑」でした。


ところで、鳥居を潜ると、両側に狛犬が鎮座してました。いつもと様子が違うので撮ってきました。(獅子でも狛犬?で良いのかな?)パスしようかと思ったんですが、良く見たら……これがビックリでした。というより、ケン坊は初めてみました。

両側の台座に親獅子が凄い形相で・・・下を見ると、3頭の子獅子がいましたが、いずれも山の下に落とされていて、山の上に親獅子が構えているという構図です。
まさに「阿形の獅子」と「吽形の獅子」で、獅子は我が子を谷底に落として、這い上がってきた子供だけ育てるというまさにあの話を再現していました。

【ワンポイント】
阿形の獅子、吽形の狛犬と呼ぶのが本来の呼び名なんだそうです。
また、「あ」と「うん」は梵字の最初の音と最後の音です。それに当てた漢字が「阿」と「吽」です。夫々、吐く息と吸う息の字です。「あ」といえば「うん」と応える。二人の気合の合ったことを言っています。

画像 401
↑ 台座の上から凄い形相で睨む「母獅子」。
画像 394
↑ 母親から谷底に落とされ、仰向けになって泣いているように見える「子獅子」
画像 392
↑ この「子獅子」は、果敢に台座の上に向って登って行きそうな雰囲気だ
画像 403
↑ こちらの台座には「父獅子」が2頭の子獅子を蹴落とし
   手前の子獅子は仰向けに。奥の獅子(見づらいですが)は上に向って吼えている?


【ワンポイント】
栃木市箱森町にあるこの山の名を調べると、巾着の形に似ている、また、山全体を覆うツツジが花開く時、錦を着飾ったように艶やかに見えるなど、幾つかの説があるらしい。

スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
鞍掛山コースでみた「珍・チン百景」
2010-01-30-Sat  CATEGORY: 自然の芸術・とう変木
【山では変わった光景にも出会います】1/18(月)

鞍掛コースは久しぶり。この時季のご馳走は景色だと前のブログで書きましたが、景色の見えない林の中でも興味を持つといろんな光景に結構出会います。

ブログネタが枯れたときのため?と撮っておきましたが・・・こんな早く使用することになるとは>笑<

昨年6月6日から続いているブログの連続掲載・・・ここまで繋がると、何とか1年は続けたい気分です。それまでは外泊できないので、もっぱら日帰り旅行(行動)が中心の生活パターンです。あと4ヶ月ちょいか~ 長いな~>笑<

画像 196
↑ 倒木が長い年月を経て朽ち果てて・・・根の部分が見ようで「竜頭」に見えませんか?
画像 197
↑ 急登の途中に立ったまま朽ち果て・・・「骨皮筋ヱ門」の名前がピッタリの光景に
画像 193
↑ コレは”ヒノキ”に生えたチン百景。(頭変僕さんありがとう)
   段差のある岩場脇にあるので、皆さんが無意識に握っている部分?なんですが・・・
   ヒノキのようなザラザラ感は消え、すべすべ感とともに握られすぎて変色しつつ>笑<
画像 202
↑ 山の中ではよく見かける光景ですが、見れば見るほど実に不思議なキノコの集団だな~と
   数日前にTVで”サルノコシカケ”の仲間が放映されたが、その「遠い親戚」ですかね?
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
旧 谷中村へ(in渡良瀬遊水地)
2010-01-29-Fri  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
【風化させてはならない足尾鉱毒事件と渡良瀬遊水地】1/17(日)

久しぶりに「旧 谷中村跡地」に来ました。どういう訳か、ケン坊には懐かしい風景に思えます。何年かに1回は必ずこの地は忘れずに訪れます。
画像 140

日本公害はいろいろあれど、ここ谷中村を舞台にした足尾鉱毒事件は日本公害の原点です。企業責任の追及が弱く、住民の意向を無視し、無理やり谷中村を廃村に追いやった当時の政治・・・追われて周辺各地に移り住んだ人や、遠く北海道にも村民が移り住んだという厳然とした歴史。ついつい足が向いてしまいます。

今でこそ、レジャーやスポーツのメッカとして賑わっていますが、歴史的な谷中村の惨劇の上に現在があることを知っている人がどれだけいるか疑問です・・・当時の国・県・地方の政治はどうなっていたのかは本でしか知る由がありませんが。
画像 149
↑ 「谷中村役場」跡は小屋の左裏手です。
   小屋は役場脇に建っていた「大野孫衛門屋敷」です。

今日は、行田から来たという70歳前後のオジさんを案内しながら(一緒に歩いただけ?)谷中村の史跡をめぐりました。東武の柳生駅から歩いてきたというオジさんは谷中村は初めてということで、ケン坊が案内板を写真に撮っていると、「そうだよね~ 家に帰ると忘れちゃうから」と言いながら同じように案内板をアチコチ撮ってました。(もしかしてブロガーか? >笑<)

そして、谷中村の歴史を知るにつれて、何か現在の八ツ場ダム(河原湯温泉)や沖縄の普天間米軍基地、そして一昔前の成田闘争を思い出してしまいます。ようやく方向性が出され、まさに「最後の工事を迎えた八ツ場ダム」、「日米合意していた普天間移設」・・・表現は悪いが「寝た子」を起こしたというか、「虎の尾」を踏んでしまった。

選挙のためのリップサービス発言? 地元民の気持ちを弄ぶ発言は一刻も早くやめて欲しい。普天間移設問題では閣僚がバラバラ発言で笑いものに。どちらに転んでも大丈夫なように役回りを得ての発言なのか?

さて、話が現在に飛んでしまいました・・・谷中村についてはいろいろと言いたいこともあるが、史実をあまり知らないで無責任なことは控えたい。とりあえず少ない写真ですが・・・見てやってください「谷中村」を。

画像 151
↑ ここは、田中正造が死ぬまで好んで利用したという「雷電神社」跡です。
画像 150
↑ 「雷電神社」の案内。守る会ではなく、自治体がキチンと事実を後世に残すべきだと思う。
画像 155
↑ 「延命院」跡。この「鐘」は、現在の赤麻寺からお借りしているとのこと。
   ケン坊も撞いて頭を下げてきました。行田からきたオジサンも神妙な姿で・・・
画像 157
↑ 谷中村の墓地です。今でも墓石の前に”供え物”がありました。ケン坊は手を合わせるだけ。


今回は、何時も車で通り過ぎていた「谷中村 合同慰霊碑」に初めて寄ってみました。ここも一見の価値はありました。というより、いままで素通りしていたせいか、気持ちの上で何故かスッキリした気分になりました。
画像 176
↑ 旧・谷中村の合同慰霊碑は遊水地の土手の外側にありました。
画像 177
↑ 初めて見る光景にビックリ。
   この碑を囲むようにいろんな碑がありましたが、取り敢えず慰霊碑の中心となる碑を紹介。
画像 180
↑ 慰霊碑を取り囲むのように、周囲にはいろんな形・いろんな供養塔の墓標群が並んでます。


谷中村が政治の力で埋没してしまった「史実」は↓です。

【ネット:Wikipediaより】
室町時代からからこの地は肥沃な農地として知られていた。江戸時代には主に古河藩が開拓を行った。当時から洪水が頻発していたため、古河藩はこの地の年貢を大幅に減免する措置をとった。
しかし、洪水がない年の収穫は非常に大きく、1年収穫があれば7年は食べられるとも言われたほどだったという。

1888年に全国で市町村制度改定があり、内野、恵下野、下宮の3村が合併して成立。渡良瀬川・巴波川・思川の合流地点付近にあった。主な産業は稲作を中心とする農業で、レンガ工場もあった。赤麻沼などで漁業も行われていた。

現在は、村があった場所に渡良瀬川が流れているが、当時は村の西、ちょうど栃木・群馬両県境をうねるように流れていた。その名残が県境の形でそのまま残っている。
詳しい記録は残っていないが、元村民の島田宗三によれば面積13平方キロメートル、人口2700、戸数450。

土地を増やすために当時村にあった赤麻沼の堤の位置を変えようとして失敗。堤が崩れ、沼の水が村内に流入した。この後、大雨のたびに堤が決壊した。
この後、渡良瀬川が氾濫するたびに足尾鉱毒事件により大きな被害を受け、以後、鉱毒反対運動の中心地となる。

1902年、政府は鉱毒を沈殿させるという名目で、渡良瀬川下流に遊水池を作る計画を立てる。しかし、予定地の埼玉県北埼玉郡川辺村・利島村、(現在の北川辺町)は反対が強く、翌年には予定地が谷中村に変更になる。

1903年1月16日、栃木県会に提案されていた谷中村遊水池化案が廃案となる。この時点で谷中村の将来に危機を感じた田中正造は、1904年7月30日から実質的に谷中村に移り住んだ。

1904年、栃木県は堤防工事を名目に渡良瀬川の堤防を破壊。以後、谷中村は雨のたびに洪水となった。同年12月10日、栃木県会は秘密会で谷中村買収を決議。この時、谷中村遺跡を守る会によれば、人口2500、戸数387。面積1000町歩。

鉱毒により作物が育たなくなった時点での価格が基準とされたため、買収価格は1反歩あたり田が20円、畑が30円と、近隣町村に比べ非常に安かった(約5分の1といわれる)。

末期には鉱毒で免租となったために多くの村民が選挙権を失い、村長のなり手がなくなった。このため、最後の村長は下都賀郡の書記官である鈴木豊三が管掌村長という形で兼任した。鈴木は税金の未納などを理由に村民らの土地を差し押さえるなど廃村に協力した。

栃木県は1906年3月、4月17日までに立ち退くよう村民らに命じた。3月31日、村に3つあった小学校のうち2つが、谷中村会の議決を経ることなく強制的に廃校になった(残りの1つは藤岡町立となり、1913年3月末まで存続)。

4月15日、谷中村会は藤岡町への編入合併案を否決。5月11日、栃木県は7月1日をもって谷中村を藤岡町に編入すると発表。7月1日、管掌村長の鈴木は、栃木県に谷中村は藤岡町に編入したと報告。谷中村は強制廃村となる。
この時点での人口は島田の推計で1000、戸数140。しかし、一部の村民は村に住み続けた。

1907年1月、政府は土地収用法の適用を発表。村に残れば犯罪者となり逮捕するという脅しをかけ、多くの村民が村外に出た。多くは、近隣の藤岡町や茨城県猿島郡古河町(現在の古河市)などの親類宅に身を寄せた。
この年、島田による推計で村の人口400、戸数70。最後まで立ち退かなかった村民宅は6月29日から7月2日にかけ、強制執行により破壊された。破壊された戸数は16(堤内13戸、堤上3戸)。しかしこの16戸(田中正造も含む)はその後も村に住み続けた(のちに1戸減)。

1908年7月21日、政府は谷中村全域を河川地域に指定。

1911年、旧谷中村民の北海道常呂郡サロマベツ原野への移住が開始。この地は現在の常呂郡佐呂間町栃木である。しかし、移住民の殆どが定着に至らず、その後の帰県活動へと変遷することになる。

1912年、買収額を不当とする裁判の判決が出る。買収額は増やされたが村民らは不満として控訴。1919年に買収額を5割増しとする判決が出ると、村民らには裁判を続ける気力が残っておらず、そのまま確定した。

1914年、残留村民らが、田中正造の霊を祀る田中霊祀を建設したところ、河川法違反で連行され、裁判で罰金刑を受けた。なお同様の裁判はこれ以前にも数例ある。いずれも、仮小屋に住んでいた元村民が小屋の修理をした際に河川法違反に問われたものである。

1917年2月25日ごろ、残留村民18名が藤岡町に移住。ほぼ無人状態となる。田中霊祀も同年3月に藤岡町に移転した。

その後現在まで無人のままだが、藤岡町内に旧谷中村合同慰霊碑が、渡良瀬遊水地内に谷中村役場跡・雷電神社跡などの遺構があり、見学することが可能である。

ページトップへ  トラックバック0 コメント4
鞍掛山コースからみた日光連山
2010-01-28-Thu  CATEGORY: 栃木の里山(古賀志山)
【冬は花は無くても景色が何よりのご馳走】1/18(月)

古賀志山には70数種ものハイキングコースがありますが、今回は「中尾根~559~530~鞍掛山」という通称”鞍掛コース”を選択。海馬に刺激を与えるためだが・・・

今年は雨が少なく歩くと何となく埃っぽいが、逆に難所(人一人がやっと通れる絶壁)が凍結していなかったので難なくクリアです。

このコースは距離が長いこともありアップダウンも多く、かなり厳しいが景色が萎えそうな気持ちを救ってくれます。もちろん、この時期ですから花はなく日光連山しかありませんが・・・

最後の鞍掛山の下りは「岩コース」と「尾根コース」とがあるが、厳しいだろうなと思いつつ”岩コース”を選択してしまった。これが苦難の始まりで、傾斜は感覚で45度(実際は不明)もあり足場が超ワル。

勢い、鎖に頼る両手に全体重をお任せして下ること100㍍。100と聞くと大したことないと思いますが、後遺症は数日間も両腕・両肩がダルくて痛くてどうしようもないくらいだったが、約5時間のコースには満足でした。

画像 181
↑ 先ずは「高原山」。代表的な山は「鶏頂山・釈迦が岳・明神岳」。その他の山の総称かな?
画像 182
↑ 木立の中から見える「女峰山」。
画像 184
↑ 日光連山を代表する「男体山」。その左側に真白い丸みのある山は「白根山」です。
画像 185
↑ 日光連山が勢揃い。左から(小枝の中に)白根山・男体山・大真名子山・小真名子山・女峰山。
画像 188
↑ 古賀志山の北側斜面に、いつ降ったのか雪が残ってました。(里山でも降ったんですね~)
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
渡良瀬遊水地の冬景色 
2010-01-27-Wed  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
【陽射しは柔らかいが谷中湖面を渡る風は冬】1/17(日)

今日は陽射しが柔らかく風もなく実家に行ったついでに渡良瀬遊水地に寄ってみた。もちろん目当てはこの地にヒッソリと佇む谷中村。といって当時の建物があるわけでもなく跡地というだけなのだが・・・

遊水地(谷中湖)には沢山の渡り鳥が羽を休め、餌をついばんでいましたが、ケン坊のスリ足に驚いて飛び立つ。悪いことしちゃったかな。でも飛び立つ鳥をカメラは捕らえましたよ。
画像 130
↑ ケン坊の足音に危機を感じたのか一斉に飛び立とうと・・・ちょっと待って~

広大な敷地は、何処までいっても”ヨシ”と”谷中湖”です。こんな冬の景色でも多くの人が来てました。ビックリは釣り人の多いこと。ズラ~と並んで糸を垂らして・・・遊水地はいつの時期にきても四季折々の顔を見せてくれて良い雰囲気の場所ですね。
画像 129
↑ 日除けに使われる”よしず”の原材料”ヨシ”。2ヶ月後には一帯は炎に包まれますが・・・

今回はハート型の湖のうち、小さい方の湖を中心に歩きました。遠くに何やら櫓のような構築物が見えますが歩いても歩いてもなかなか到達しません。時々走ったり・・・遊水地は広くて良い運動になりますね。
画像 134
↑ 遠くから何だろうと思って近づいてみると”ウォッチングタワー”でした。

そして目的の谷中村跡に行くと、何やら中年の団体さんがヨシ原のほうを眺めてます。そぉーと近づくと”バードウォッチング”の愛好家たち。現時点ではバードウォッチングはイマイチですが・・・
画像 143
↑ バードウォッチング?  多くのカメラが林立しリーダーの説明にメモ取ったり・・・

それにしても遊水地はスポーツをする人が多いですね~。 ローラースケートや一輪車、サイクロロード用の自転車で周回する銀輪部隊も。芝生ではキャッチボールやバドミントン等々いたるところで身体を動かしています。
画像 167
↑ 谷中湖の中をローラースケート軍団が猛烈な勢いで通り過ぎて行く・・・おぉー親子だ~
画像 171
↑ 谷中湖・・・何が釣れるのかな~ 多くの自称”釣り師”が釣り糸を垂れてますが成果は?
画像 139
↑ これって・・・渡良瀬遊水地を象徴するような風景か~?
   こんな単純な風景がケン坊は好きです。上空にはJALが北へ・・・判んないだろうな~
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
夢福神巡り No4(別名:九難除け)
2010-01-26-Tue  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【白鷺神社&大前神社】1/10(日):完です

いよいよ完結編・・・夢福神も今回が最終回です。ちょっと飽きちゃったのではないでしょうか? やたら写真を載せ、ネットからの受け売りで紙面を埋めただけのブログに反省はしているんですが、神のことに少し疎いので申し訳ありませんでした。お付き合いありがとうございました。

《8.白鷺神社》1/10(日):上三川町
そう、白鷺神社は昨年の夏(21.7.18)のブログで紹介したので極力省き、今回のテーマである夢福神についてホンの少しだけご紹介します。

バクの顔を良く見ると、みんな微妙に違っているようだ・・・。作る石材屋さんによって異なるのは判るが、神社側もいろいろと注文をつけるんでしょうね。
もっとも目や鼻など少し変えただけで、顔の雰囲気が思った以上に違ってきますからね。

画像 956
↑ 立派な本殿です。成人式を行った地域もあったようで着物姿もチラホラ。
画像 948
↑ 神門を潜り本殿に向って左に「バク(獏)」が鎮座してました。中くらいの大きさかな?
   場所的にも判りやすかったですが、神社の敷地が広い分だけ小さく感じました・・・

日本武尊と白鷺神社の関係については、↓写真を通じて簡単にご紹介します。
画像 953
画像 959



《9.大前神社》1/10(日):真岡市
そして殿(しんがり)は真岡の大前神社だ。駐車場は満車状態でもちろん路駐は当たり前。警察が交通整理を行っているものの周辺は大渋滞。やっと駐車して参道へ入ると・・・骨董品の露天商が境内までズラリと並んでいる。
(後で判ったことですが、毎月第二日曜日は「骨董市」が開かれているそうです)
画像 977

今日の大前神社は「骨董品会場」と化していました。甲冑や壷、大工道具に装身具類・・・ありとあらゆる時代物が並んでた。参拝客も初詣と同じように列をなしていて、参拝するのに30分近くかかってしまいました。
画像 968
↑ 参拝客も行列が出来ていて(骨董市の関係で)夢福神巡りの中では一番の活況でした。

日本一のえびす様は、昨年、お色直したせいかスッキリとしてました。その高台では演歌歌手がコブシを回してましたが、買い物に熱中するする人、歌に聞き入る人、参拝する人・・・マチマチでした。
画像 965
↑ 日本一大きいとされる恵比寿様。

でも肝心のバクが見つからず巫女さんに聞いたら、露天商のテントに隠れてました。ところがビックリ、ここには2つのバクが鎮座してました。恵比寿様バクと大国様バクらしい。

でも何か変だな~と思ったら、この「恵比寿バク」だけが夢の袋を逆の肩に掛けていることに気付きました。皆さん気付きましたか?

右利き左利きの関係なのか、それとも恵比寿と大国で一対となっていたためバランスの関係なのか不明ですが・・・何か意味がありそうですね。

画像 971
↑ 打ち出の小槌を持った大国バク像。
画像 972
↑ こちらは他のバクと同じような形をした恵比寿バク像ですが、袋を左右逆に担いでいます。
画像 974
↑ 大きな「夢」の入った袋を担いで・・・ご利益がありそう~?


これでケン坊の夢福神巡り(九難除け)は完了です。9ヵ所のうち「護国神社」のバクだけが工事中のためお目にかかれませんでしたが、完全じゃないところが現実的な感じじゃないですか? 
最後に2つのバクが鎮座していたので、結果的には合計9個のバク。いろんなバクに出会いました。

ブログに載せているうちに、いろんな事実や歴史を垣間見ることができ、雑学的にも歩いてみて良かったかなと思いました。最後に残った願掛けを家の神棚に下げて完。

画像 732
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
蝋梅と紅梅のコラボ(in四季の森・星野)
2010-01-25-Mon  CATEGORY: 栃木・大平・都賀・岩舟
【午前中のほうが良いのかな?】1/23(土)

昨年も取り上げた栃木市星野の「四季の森」。そろそろ蝋梅の季節ということもあるが星野遺跡を一度も見てないこともあって出かけてみました。

四季の森は蝋梅の香りがピークですが、三峰山の日陰になることから全体的にくら~い感じがする・・・。そのために、写真に撮られた蝋梅たちはイマイチの感があるが紅梅も数本がほころび始めていた。

セツブンソウの状態は?と探してまわしましたが残念ながらカケラもありませんでした。

画像 247
↑ 四季の森 入口周辺の蝋梅
画像 257
↑ 蝋梅の本数としてはけして多くない。最近ではアチコチで蝋梅がブームになり・・・
画像 253
↑ コレは芯の部分が赤紫ですのでワロウバイ(和蝋梅)ですかね。
画像 254
↑ これはミツマタの蕾ですね
画像 255
↑ 数本の梅の花がほころび始めました。陽が射してくると見栄えがするのだが・・・
画像 256
↑ 蝋梅と紅梅のコラボ。花芽がまだ少ないので見栄えはしませんが雰囲気は感じます。
画像 258
↑ 少し離れて撮ったが、紅梅がモヤ~として何となく日本画にありそうな光景に・・・
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
清水寺の仏足石と13仏
2010-01-24-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【ケン坊も歩けば雑学にあたる?】1/16(土)

清水寺の無人の境内を散策していると”仏足石”という見なれない文字が・・・案内板を見ると、仏教の伝来している国で尊崇されているとのこと。

「健康維持は大地を踏む二本の足から」の説明に何回もうなずくケン坊と魔女。二人して石に乗り(同時じゃありませんよ>笑<)案内板の指示に従って、仏足石に触れた手で両足や腰全体を入念にさすってみました。

画像 081
↑ 仏足石の案内板。最後の行に「健康維持は神仏の御加護とあなた自身の努力が大事です」と。
   まさにそのとおりだと思う。神仏頼みだけでは・・・やはり無理でしょうね
画像 080
↑ 足のマーク部分に土足のまま乗り、仏足石に触った手で足や腰をさすると良いらしい
   浅草寺など、焚いた香の煙を手で呼び寄せて自分の弱いところに当てる光景と同じだ



足腰の無事を祈ると同時に自ら足腰鍛錬することを誓った後、境内脇の敷地内に植えられた蝋梅から放たれる円やかでやや強い香りを感じながら、往路コースとは違うルートで再び「晃石山」へ向けて歩き出した。

蝋梅のなかに「13仏」の表示が目に入ったが何だろう? 最近のケン坊は「何だろう坊や」みたいです>笑<
案内板を見ると「13仏」の説明が・・・

人の亡くなった命日に行う13回の各法要にあわせ、その命日に故人の守り本尊として「1明王、5如来、7菩薩」をあてはめたもので、この御仏が法力をもって衆生を導いてくれるとのことらしい。よく判りませんが・・・
画像 090
↑ 13回の法要? これ以外にもあるような気がしましたが…正規では無かったのかな?

後付けであっても、こう位置づけられるとそんな感じがしてしまうのはケン坊だけ? 同じ案内板に、干支に応じた御守り本尊が決まっているとの文字…コレはアチコチで見かけるが「整合性」を確認したことがありません。寺社によってバラバラなのか、コレは普遍のものなのかが不明です。
画像 092
↑ 干支による守り本尊の案内・・・え~ケン坊の守り本尊は~

いずれにしても、案内板で改めて確認したこの内容も、折角の情報ですから”雑学”の一つとして頭に入れておきたいと思います。

画像 091
↑ 13仏が並んで参拝を待ち受けています。いつでもお参りができます・・・
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
夢福神巡り No3(別名:九難除け)
2010-01-23-Sat  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【鷲宮神社と薬師寺八幡宮】1/10(日)

夢福神の第三弾は都賀町と下野市(旧 河内町)の神社へ・・・最短距離で巡るように考えてのコースだが。

《6.鷲宮神社》1/10(日):都賀町
星宮神社から車で30分もかかっただろうか・・・道に迷うことなくスンナリと着いたが、参拝客は一人も居なかったのがちょっぴり寂しい感じ。田舎の神社だからなのか敷地が広く感じるが目の錯覚か?

ネットでみて初めて知ったことだが、鎌倉幕府2代将軍の縁の神社とはね~ 真実の程はわかりませんが面白いです。この後の「八幡宮」も源氏との関係があるというし、県内の神社仏閣も調べると知らないことだらけですね。

画像 929
↑ 立派な鳥居の奥~に小さく見える社殿。

鳥居を潜って社殿へ・・・。歴史を感じる社の色合いがバッチリです。本殿に近づくと「バク(獏)」がいましたが、今までのバクと比べて非常に小さいです。3分の1程度で、両耳には願掛けの布が何重にも縛られていました。

画像 930
↑ 社殿の右手前にバク(獏)は鎮座してますが・・・今までに比べ確かに小さいです。

よく見るとバクの隣に大きな「タマゴの像」が並んでますが何なんでしょうか? 予備知識のない状態での参拝では何を見てもダメですね。今回は大いに反省しながらの夢福神巡りです。

画像 932
↑ タマゴに大きさでは負けてる「バク(獏)」ですが、大きさじゃありませんからね・・・
画像 933
↑ タマゴが鷲宮神社に縁のものとは、この後で知ったこと・・・。

《うんちく1:ホームページから》
都賀町家中の総鎮守として、また「お酉様」として親しまれております鷲宮神社は、伝えられるところによれば大同3年(808)の創建です。

鎌倉幕府2代将軍、源頼家公が幼少の折、今の「百日ぜき」に罹り、心配した頼朝の妻二位尼君(政子)が当社に鶏肉と卵を断って病が治る様に祈願をし、頼家が回復すると御礼参りの使者として佐々木四郎高綱が社参した。

そして、その時に百日ぜきを「とりせき」という方言が生まれたとされ、実に鷲宮神社より発した方言が通じる地方は、信仰者のいる地域だとも伝えられています。

《うんちく2:ホームページから》
11月23日の例大祭に行われる強卵式(ごうらんしき)と呼ばれる儀式は、お酉様ならではのたいへん変わった行事です。山盛りにしたご飯を山伏が食べろ食べろと責める強飯式は、日光の輪王寺や粟野町の発光路等で有名ですが、ここ鷲宮神社では頂戴人が山盛りにした卵を残さず食べろと責められます。
  
裃姿の強卵頂戴人たちは神主のお祓いを受けた後、御神前に拝礼をし正座をして控えます。強卵頂戴人たちの前には初め、一升瓶のお酒が置かれています。

そのお酒を神様の使いである天狗が清めの酒であるから一滴残らず飲み干せと責め立てます。何とかその責めを乗り切ると、今度は大きな器に山と盛られた生卵を一つ残らず食べつくすのじゃと責め立てられます。

頂戴人たちはどんなに責められても卵を口にせず、有り難きこの卵は神様にお供えいたしますといって辞退します。その心掛けを良しとして、天狗たちが鷲宮神社の神様に御報告を申し上げるというあらすじです。



《7.薬師寺八幡宮》1/10(日):下野市(旧 南河内町)
薬師寺八幡宮は昨年訪れたこともあって場所は迷わず到着しました。前回は何の関心も無く漠然と参拝したので気付きませんでしたが、今回はバク(獏)が目当てとは言いながらも、前回以上の発見がありました。

画像 936
↑ 鳥居から参道・・・見るからに由緒ありそうな神社。手が行き届いている感じだ。

この神社が、源氏の必勝祈願の場所となったことを知っただけでも今回の訪問は価値があります。県内にこんな場所が・・・もう少し県はPRすべきじゃないのかな~。

画像 941
↑ 社殿はそんなに大きくないが”安定感”のある八幡宮だ。

参道の中ほどにバク(獏)の像がありました。とても小さいです。都賀町の鷲宮神社よりも小さいかも知れません。でも、ここの獏は「水掛け」と「銭洗い」とあって、願掛けの布が濡れていました。多分、この寒空に水をかけられたのでしょうね。可哀想に・・・

画像 938
↑ 参道途中に小さな「バク(獏)」がケン坊を待ってました。画像 939
↑ 結構濡れてました。可哀想に、濡れた願掛けの布が纏わりついて寒そうです。
   ご利益はあるかな~ 寒くて「それどころではない」と断られそうだ
画像 942
↑ 町内にある「七福神」のうち4福神を境内に祀り、年配の参拝者に便宜を図っているのか?
   これも神社のサービス精神かも知れませんね~
画像 944
↑ 絵馬のような板に「厄」の文字型に焼かれ、押すと「厄」の部分が取れるようになってます。
   そして、そのくりぬいた「厄」の文字を支柱にある穴に入れるんです。
   まさに文字通り「厄落とし」ということらしい。神社も工夫してますね~>感心・感心<

《うんちく:ネットより》
当神社は、清和天皇の御勅定により創建された源氏の氏神様とも又下野薬師寺(日本三戒壇)仏法の鎮守神とも称えられ、源頼義公をはじめ八幡太郎公(源義家)も必勝を祈願をされた祈願成就の社です。

江戸初期、領主佐竹右京太夫公により奇麗な社殿が寄進造営され、歴代領主の崇敬はもとより、地域の総氏神様として庶民に篤く信仰されてきました。


さて、九つの神社による「夢福神(九難除け)巡り」が佳境となった最中に、そのうちの4社が顔を出す「八社まいり」があると知りました。
神社も多角経営ではありませんが、名刺の肩書きじゃありませんが・・・あっちの企画・こっちの企画に参画しているんですね。因みに、その八社とは「大前神社、白鷺神社、今泉八坂神社、護国神社、平出神社、安住神社、二荒山神社、薬師寺八幡宮」です。
ダブリは、護国神社・大前神社・白鷺神社・薬師寺八幡宮です。
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
花炭(松と竹)のコラボ試作品です
2010-01-22-Fri  CATEGORY: 公園・栃木県総合運動公園
【花炭って意外に面白いかも・・・】1/10(日)

具体的な作り方を頭変僕さんからご指南を受けるなど初めて経験した花炭。そして先日初めてスギボックリを焼いてみて「ケン坊にもできるかも?」と思い、その後も第二弾・第三弾を・・・。

前回と同じじゃ進歩がないと時間を調整してみた。最初は30分、2回目が25分、魔女は35分・・・ついに魔女まで始まったか・・・材料の大きさや状況にもよるので、必ずしも決まった時間はないが・・・25分は短かったようで、こげ茶色だったが、こんな花炭もアリかなと自己満足です。

画像 056
↑ 焼き時間25分。ちょっと焼きが甘く・・・(左右奥の2個は松ぼっくりの裏側です)
画像 061
↑ 魔女の作品で35分もの・・・かなり焼けた感じで手に持つと破壊しそう
画像 062
↑ コレも魔女作。いかにも炭という感じです。よく焼けて真っ黒です。
画像 110
↑ ついでに竹と木の枝をやってみました。意外に出来るもんですね。
画像 114
↑ ↑はバランスが悪いと言われ試行錯誤の配置。竹は焼き過ぎて動かすと折れちゃいます
画像 204
↑ 今度は松の木をやってみました。もちろん松ぼっくりも・・・立体感を
画像 205
↑ 松葉が意外にも崩れずに焼けました。次回は形を考えて焼いてみましょう
ページトップへ  トラックバック0 コメント4
夢福神巡り No2(別名:九難除け)
2010-01-21-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【磐裂根裂神社と星宮神社】1/10(日)

《4.磐裂根裂神社(いわさくねさく)》1/10(日):壬生町
「福巻ずし」の発祥地。そうなんです。今でこそマスコミの影響もあってか、全国的に「恵方巻き」がスーパーなどで販売されていますが、その恵方巻き(福巻ずし)がこの地で産まれたんですね~。
今では具材が豊富で海鮮ものまでありますが、当時は「かんぴょう」が主だったに何かで読んだことがあります。

磐裂根裂神社の節分祭(HP)では、祈祷に訪れた参列者に太巻きの「夢福巻きずし」が振る舞われます。宮司が神事を執り行った後、拝殿内で一人一人に太さ約5cm、長さ約20cmの太巻きを配り、太鼓の合図とともに、全員が今年の恵方を向いてその太巻きずしをほおばります。

太巻きを鬼の金棒に見立てて食べることで「鬼を退治する」という意味がこめられています。また、切らずに長い太巻きをそのまま食べることで「縁を切らない」とか、巻きずしなので「福を巻く」という意味合いもあり、多くの人に福が来るようにという祈りがこめられています。福巻きずしの持ち帰りもできます。予約不要だそうです。

画像 916
↑ 鳥居をくぐって正面にみる「磐裂根裂神社本殿」です。
画像 912
↑ 参道の中ほど横に小さな鳥居が設けられ、亀に乗ったバク(獏)がいました
画像 915
↑ 亀の背に乗った「バク(獏)」。最初は何故亀の背に?と思いましたが、
   亀塚古墳の上にできた神社というのを「ユニーク」に表現したのではないかと・・・
画像 918
↑ 恵方巻き発祥の地を表す碑。
   その年の恵方を表示できるよう回転しますが、賽銭箱も一緒に回転します>笑<

<うんちく:ネットより>
その昔、第10代崇神天皇の皇子が天皇の命を受けて東国平定にやってきて、無事に平定を終えてこの地に住んだ。その皇子たちが住んだ跡、八つの塚として残り、これを八つ塚といい、いつしか八ツ塚が安塚というようになったという。又、皇子が永く住まれ、長寿なされ「亀塚」(古墳)と呼ぶようになった。



《5.星宮神社》1/10(日):下野市(旧 石橋町)
磐裂根裂神社を後にして車で15分もすると、ここ「星宮神社」に到着。この「星宮神社」は以前にも何回かケン坊のブログに登場した神社(トトロの神社・かかし祭り等)です。

下古山星宮神社の境内への入口は2箇所ある(南の表参道と西参道)。表参道の鳥居の注連縄は蛇の形をしていて珍しい。また西参道には願掛けが出来る灯篭鳥居でこれまた珍しい。

画像 921
↑ 表参道から見る「星宮神社本殿」。鳥居にも本殿にも注練縄が蛇の形をしてて珍しい…
画像 922
↑ バク(獏)の像がありました。星宮神社だけに”星”?を持ってます・・・
画像 923

画像 925
↑ 西参道には願掛けが出来る「灯篭鳥居」で珍しい。この鳥居は高さ、幅ともに7㍍。
   竹で組み上げた骨組みの中に約40個の電球を取り付けて表面に布を巻いている。
   《うんちく》
   同神社総代会をはじめ、同地区住民有志らで作る「十一会」「若星会」が協力し、
   10年ほど前から毎年この時期に設置している。午後4時30分から毎日点灯し、
   大みそかからは大鳥居に新年の抱負や願いを自由に書き込める。
   2月上旬まで設置され、その後は同神社でおはらいし、おたき上げされる。
画像 928
↑ 写真でははっきりしませんが、参道の途中からトトロに向ってビニールの筒状トンネルが
画像 927
↑ 「トトロ」のお腹の中には小さな鳥居があり、子供が参道から入ってきてお参りできるように
   工夫がされている。これも神社のアイディアですが子供向けには良いかも。

《うんちく:ネットから》
星宮神社は、第五十一代平城天皇の御代、大同二年四月十日、藤原鎌足公十代の後裔にて飛鳥井刑部卿、地方の開拓司として当地に居住し、その所を兜山の郷の乾の方にして宮内と称し、磐裂神、根裂神を祀り地方の鎮守としたと伝えられております。
また、一説に堀河天皇の康和元年飛鳥井刑部院旨の命により此の地に社を祀ると在るが定かではありません。

*神社にはいろいろな言い伝えがあり、どの神社も興味が湧くところですが、この星宮神社も磐裂神、根裂神との関係があるとのことなので、益々、興味津々って感じがします。(磐裂根裂神社のことなのか調べたいね)
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
春は特急で近づいて?(in栃木県藤岡町)
2010-01-20-Wed  CATEGORY: 未分類
【マスコミに乗せられて・・・】1/17(日)

FC2ブログ35が昨日からエラーが発生し、「夢福神」のブログ編集が間に合わないため明日以降にします。


数日前に地元紙に菜の花が満開と掲載された。休みを待って早速今日でかけてみたが、そこで待っていたのは満開とは程遠い状態だった。

やはりプロが撮る写真はアングルや撮影技術が一枚も二枚も上手で、ケン坊には歯が立ちません。どうみても満開のようには見せられませんでした。

場所が判らず、駅に待機しているタクシーの運ちゃんに聞いたら、笑いながら「そんなに良い菜の花じゃありませんよ。花も少ないし・・・」と。

画像 116
↑ 東武日光線の踏み切りから藤岡駅を覗き込むと・・・
画像 122
↑ 確かにありました”菜の花”が・・・菜の花はありましたが生気が感じられず
画像 119
↑ 「急行スペーシア号」とのコラボも菜の花がイマイチなので・・・がっかりです
ページトップへ  トラックバック0 コメント10
清水寺の水仙と蝋梅と氷花(in大平山)
2010-01-19-Tue  CATEGORY: 花紀行(冬)
【清水寺…なんと読むのかな?】1/16(土)

以前のことですが、晃石神社の境内に「←清水寺」の標識。大平山にも「きよみずでら」があるのかと呟いたら、魔女が「しみずでら」かも知れないよ・・・確かにどちらにも読めるし、寺は「じ」とも言うしな~

今年初めての大平山。神社に今年一年の安全を祈願して山歩き開始です。いつものコース(大平神社~晃石神社~桜峠~(馬不入山)~晃石神社~大平神社)では海馬が働かないからという理由で、今回は「桜峠~一旦下って清水寺~急登して晃石神社~大平神社」というコースにした。

この桜峠から清水寺のクダリは比較的楽勝でしたが、晃石神社への登りは半端じゃなく厳しかった。最初から最後まで急登でハァ~ハァ~の連続でした。

画像 079
↑ ここが「清水寺」です。

久しぶりのコースに新鮮さを感じつつ清水寺に到着意。ところで最初の問題の答えは・・・そうなんです。「清水寺」は《せいすいじ》が正解でした。ケン坊も魔女も予想だにしなかった《せいすいじ》という第三の名前に二人ともマサカの敗退です。

清水寺周辺では「ろうばい」の花がアチコチから香りを放っている。まだまだ若い木で最近植え込んだモノらしい(蝋梅の寺で売り出そうとしているのかも)。また斜面には水仙が盛りを迎えようとしていた・・・このコース変更は正解でしたね。従来の往復では写真もなくブログネタにもなりませんでしたからね。>笑<

画像 078
↑ 水仙の花が綺麗でしたよ 周辺の斜面にはこれから盛りを迎える水仙も沢山
画像 089
↑ 蝋梅の花が綺麗に咲いてました。若木の花が青空に映えて一段と綺麗に見えました


画像 083
↑ 思いがけない発見。境内の片隅に「氷の花」が咲いてました
画像 084
↑ 岩間から水がチョロチョロ流れてますが、その水が跳ねての仕業じゃないらしい
画像 085
↑ 角度を変えての「氷花」です。自然の彫刻です・・・
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
夢福神巡り No1(別名:九難除け)
2010-01-18-Mon  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【蒲生神社と護国神社と岩戸別神社】1/10(日)

先日ブログで前触れした「夢福神巡り(九難除け)」に挑戦しました。魔女は前日の福島・茨城の旅で疲れた~といって不参加。運転手だったケン坊一人で出発することに・・・巡った順に何回かに分けて報告します。

夢福神という企画は、各神社が共同で話題提供・参拝客の集客を狙ったものなのか、真意は判りませんが・・・いずれにしても、それぞれのバク像には願を書いた布が多く巻かれていた。

画像 732

《1.蒲生神社》1/3 :宇都宮市
この神社は合格祈願・学問成就の神「蒲生君平先生」を祀り、境内には「学問の御柱」「初代横綱 明石志賀之助の碑」があります。前に一度触れてますのでサラ~といっちゃいます>笑<

画像 717
↑ 蒲生神社の社殿。
画像 718
↑ 学問の神の御柱
画像 713
↑ さすが学問の神様だ~境内には「数学」の問題が・・・(ケン坊にはチンプンカンプン)
画像 712
↑ 夢福神巡りの目的である「バクの像」
画像 721
↑ 後ろから見た「バクの像」


《2.栃木県護国神社》1/10(日):宇都宮市
護国神社は全国的にもアチコチにあるが、今回はもちろん栃木県の護国神社です。栃木県護国神社は明治5年に市内の高台に奉斎された宇都宮招魂社が、改称され現在地に遷座されたもので、明治戊辰の役より現在までの英霊を祀りしております。春には満開の桜が参拝のかたがたに喜ばれております。とパンフに書いてありました。

本日一番目に参拝した護国神社は、敷地内の施設(社を除く)が改装中のため、残念ながら「夢福神のバク像」は撤去されており、お目にかかれなかったことで夢福神巡りの出鼻を挫かれてしまった。
画像 887
↑ 紫の幕がいかにも護国神社。見慣れている神社とは趣き・雰囲気が違うように感じる。
画像 888
↑ 敷地内で見かけた「役たたずの御柱」。 御守りやお札を納める所?らしいが…
画像 889
↑ 夢福神の願い事やおみくじが結び付けられた光景 ユキヤナギのようにも見える。


《3.岩戸別神社(いわとわけ)》1/10(日):塩谷町船生
宇都宮の北に位置する塩谷町にある「岩戸別神社」。幟旗にしたがい車を進め間違わずに到着です。
力(パワー)の源 たぢからおの神(みこと)。暗くなった世の中を再び明るくした力持ちの神を祭る。夏のお盆(8月15日)には、日本一の餅つき大会が、巨大な石臼で盛大に行われる様は圧巻です。とパンフからの受け売りです。(「日本一の餅つき大会」は、約12トンの石臼を使用して約200kgの餅をつきます)

御祭神は天手力雄(あまのたぢからを)命です。「弘仁元年(810)九月、神霊示現し給うたので宇鳥屋の越(現在の鶏岳?)と称する山上に奉斎したことを創始とする。後代、宇横峯の山に遷座し、享徳年間に至って現在地に遷座し奉斎した」のだそうです。

画像 892
↑ 樹齢100年以上の杉やサワラの木立のなかに佇む神社。雰囲気がいいですね~
画像 898
↑ 力強く運を開く「岩」?
画像 896
↑ ありました「バクの碑」。他の碑と似てますが微妙に違いますかね~
画像 900
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
羽黒山の蝋梅に異変が・・・
2010-01-17-Sun  CATEGORY: 花紀行(冬)
【蝋梅の実が黒くなって・・・】1/10(日)

今年は蝋梅の開花が早いらしい。ブログでもゾクゾク報告されるしムズムズして何かチャンスをと思ってたが、夢福神・九難除けの神社の一つが羽黒山方面だったので便乗して行ってきました。

しかし例年と何かが変だな~と思ってたら、透き通るような蝋梅の花が咲いている木に黒い実がなってます。ナニ・コレ珍百景ではありませんが、3~4分咲きの状態ではこの黒い実が異様に気になります。

若い木には付いてませんので、もしかしたらある程度成長すると果実がなる?  それとも雌雄別株なのか? どなたかご存知ですか?

画像 910
 
よ~く見ると蝋梅の実で干し柿の変形。落花しないでそのまま残ったもので黒ずんであまり見場が良くない。確か昨年はこんな黒いモノは無かったと記憶している。摘果しなかったのか、昨年、初めて実が付いたのか・・・?
画像 906

蝋梅の花は半透明の黄金色・・・花自体はきれいなのだが、この黒い実が異様でちょっぴり蝋梅のイメージがダウン。これから満開を迎える前に何とか除去できないものか・・・客離れが心配だ~

画像 911

画像 902

画像 109
↑ コレが黒い実の正体。萎んで垂れ下がった干し柿みたいで、果肉はなく種が7個。
画像 907
↑ 蝋梅広場から宇都宮方面が・・・その先には(薄く)筑波山と加波山が見えます。


DSCN2531.jpg
↑ コレは昨年2/1の蝋梅です(場所は同じく羽黒山)。黒い実は全く見えませんよね~
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
安住神社の鏡開きは何時?
2010-01-16-Sat  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【朱塗りの鳥居では関東一の大きさ】1/11(祝)

今日は朝から真冬の様相で、晴れるどころか、いつ雨が降ってもおかしくない曇天。山へ登るつもりだったが諦めて家の中で溜まったDMをシュレッダーに。小さいシュレッダーを買ったもんだから、DMは二つ折りしないとインサートできない。

今日は鏡開き??? 安住神社の有名な500㌔もある大きな鏡餅が、もしかしたら今日鏡開きするのかなって思ったら、居ても立ってもいられないで魔女を誘って出発。寒くても外の空気のほうがやっぱり良いな>笑<
(なお、安住神社の鏡開きは1月20日だそうです)ちょっと早まってしまいました。

高根沢の御料牧場入口近くに来ると、田園風景のなかに朱色の鳥居が見えました。ここの鏡餅は、八俵のお米で搗いた500Kgの大鏡餅が有名で、毎年ニュースの定番となってます。
画像 006
↑ なかなか絵になる光景です。

千年以上の歴史をもつ安住神社は栃木県指定文化財に指定されていて、なかでも昭和57年に建立された大鳥居は高さ15m・笠木の幅10mで朱塗りの明神鳥居としては、関東一の大きさを誇っています。
画像 009
↑ 間近に見る朱色の鳥居。さすがに大きいです。
画像 011
↑ 安住神社。あの有名な大きな鏡餅(8俵:500㌔)が真ん中にデ~ンと座ってました。
画像 012
↑ さすがに寒さに晒されているせいか、もち肌である筈の鏡餅が荒れて「ガサガサ肌」に
画像 013
↑ お炊き上げするお札や御守り。昔は直接火の中に入れてましたが、今は分別してから…
画像 014
↑ 寒かったので無料の「甘酒」をシッカリといただきました(ノンアルコール)
画像 016
↑ こちらの花崗岩で造られた鳥居が正門。
画像 017
↑ 花崗岩の鳥居から入った門には、金色の狛犬が両側で参拝客を出迎えてくれます。



【安住神社とは】
 奈良時代前期、聖武天皇の神亀元年2月20日(724年)の創建とされています。御祭神は素盞鳴命、大己貴命、少彦名命で、日本神話の中でも有名な三柱がおそろいになる貴重な神社です。

 芳賀の工業団地の東側に位置し、四季折々の自然が楽しめます。花崗石の大鳥居をくぐり参道を歩くと、心穏やかに神意も厳かになり安らぎを与えてくれます。

 境内社として、下原稲荷神社、琴平神社、大杉神社、八坂神社、天満宮を祀っています。御神徳は、家内安全、商売繁盛、厄除開運、五穀豊穣、縁結び、安産祈願、病気平癒、学業成就、交通安全など。 御神木ケヤキは栃木県名木百選・町指定天然記念物。
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
ジョギングなのか写真なのか?
2010-01-15-Fri  CATEGORY: ジョギング
【久々に10㌔のジョグ・・・カメラ片手に】1/11(祝)

暮れから正月にかけ、ジャブ程度のジョギングを始めたが、今日は寒いこともあって思い切って走ってみた?もちろんデジカメ持参なので押して知るべしのジョグ内容です。

でも、少しづつ距離を延ばし長い時間を走れるように身体を慣らしながら・・・以前の走れる身体を目指したいと思う一方で、その間カメラはどうしようかな?な~んて迷っているケン坊がいます。

今日はトータルで10㌔弱になりましたが、実際に走ったのは3分の2程度で、あとは写真のポイント探し>笑<
例によって田川べりを走りましたが、この寒空の中でも「つり掘り」に興じている面子が・・・
画像 031
↑ 手が凍えそうになるのに、田川の反対側では「釣り堀」で興ずる姿が・・・寒そう!

また、学校の校庭に作られた「どんと焼き」の会場。こんな風景を探しながら撮りながらなので、走るほうはキロ7分という早歩き程度。キロ5分以内にならないと健康的には走ったという意味はなさそう。
無理せず徐々にスピードアップすることにして今日はこの調子で・・・良しとしよう。
画像 034
↑ どんと焼き会場。まだ仕上げ前の様子?・・・当日までには間に合わせるのでしょう 

日没時間は多少延びましたが・・・陽が沈む光景とシャッターポイント探しと競争です。目に見えて陽が沈むのが判る時間帯。工事現場の長い塀(夕焼けが隠れて)の脇を走るがもどかしく、気だけ焦って足がもつれそうになる程。何とか日没には間に合ったが足もよく頑張ってくれたな~と擦ってあげる。

画像 048
↑ 曇天というか雪雲の寒~い一日。夕方になってようやく夕焼け?遅いっちゅ~に!
画像 053
↑ 薄暗いなかでもクレーンは動いてます。第三図書館(仮称)の工事現場ではまだまだ・・・
画像 055
↑ 夕焼けを背景にした新幹線(列車は通過しちゃいました)の高架。

ここから魔女に電話・・・お風呂の準備お願いね~ そう、今日は6時前には入浴を済ませちゃいました。
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
六角堂と五浦海岸(あんこう鍋求めて No5)
2010-01-14-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
【岡倉天心の活動拠点】1/9(土)完

画像 866
↑ 内臓を取り出した直後の鮟鱇です
画像 864
↑ 鮟鱇の特徴? 頭上にアンテナがありました。このアンテナの用途は↓参照。

【鮟鱇のうんちく】
海底に静止して殆ど泳ぐことは無い。食事の時には、頭上のアンテナのような突起で餌となる魚を誘き寄せ、水ごと飲み込んで消化する。毎日、動かずに暗いところで食っちゃ寝な生活を繰り返していることから‘暗愚魚(あんぐうお)’と呼ばれていたことが、あんこうの語源とされている。


さて、「あんこう鍋」の旅も今回で完です。最後までお付き合いいただきましてありがとうございます。ネットの助けを借りながら、最終回も報告させていただきます>笑<

五浦(いづら)は、五ツの浦が開けていることからその名が付けられたとのこと。明治39年には岡倉天心が日本美術院の本拠をここに移し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らを呼んで五浦で創作活動を行ったそうだ。
画像 844
↑ 岡倉天心像。六角堂の天心記念館に鎮座してます。
画像 846
↑ 天心が弟子を集めて…凄いメンバーの弟子ですね~
画像 857
↑ 旧 天心邸母屋。結構シッカリした建物で、廊下が部屋をグルリ取り囲む造りは昔流?

海に突き出た断崖上に見える赤い建物は天心が建てた六角堂であり、彼はここで太平洋を眺め波の音を聞きながら思索にふけったと言われております。
画像 856
↑ 歩を進めると朱塗りの六角堂が、いわば岩の突端に建っています。

六角堂周辺断崖に打ち寄せる波は、時には優しく時には激しく、その時々の自分の心を表しているように聞こえます。断崖に砕け散る波しぶき、寄せては引いていく波の音、松をわたる風の音、さまざまな自然の音のハーモニーを醸し出すこの地は、平成8年度に環境庁より「残したい日本の音風景100選」として認定されてます。
また、潮の干満による渚の変化が大へん美しいことから「日本の渚・百選」としても認定を受けたという。
画像 848
↑ チョット横を見ると絶壁が・・・まさに絶景ですね
画像 867
↑ 五浦公園のそばから見た六角堂。この場所は関係者以外立ち入り禁止の看板が・・・
画像 870
↑ ここは誰でも入れる五浦公園からのシャッターポイントです。
画像 878
↑ 海岸沿いを駈けずり回っていたら、海岸に降りる階段があったので思い切って・・・
   お店かホテル関係者が利用する階段? お陰で気に入った写真が撮れたと思ったに~ 
画像 880
↑ 岡倉天心のお墓。予想に反して質素なお墓です。
画像 874
↑ 五浦公園からみる太平洋(大津漁港の沖です)。天気も景色もいいですね~
画像 881
↑ おまけです。帰りに見た磯原の「二ツ島」。一つでも”二つ島”とは これ如何に???

こうして、日帰りの「あんこう鍋ツアー」は終了です。北茨城IC近くにある、野口雨情記念館に寄ろうとしたが、見過ごしたらしく、残念ながらICに乗っちゃいました。家を出てから10時間…結構充実した旅になりました。



【岡倉天心とは】
岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。
その活動には、日本画改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。
また、天心は自筆の英文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。
天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む人里離れた茨城県五浦(現在の北茨城市五浦)に居を構える一方、横山大観ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活することになります。
ページトップへ  トラックバック0 コメント4
勿来の関公園(あんこう鍋求めて No4)
2010-01-13-Wed  CATEGORY: 我が家の旅行
【いわゆる関所とは趣が違ってました】1/9(土)

画像 865
↑ 今回は大きな鮟鱇の口の中にカメラが侵入です

勿来の関はケン坊の希望で寄った場所。「勿来」は子供の頃(高校くらいまで)読めなくて恥をかいたこともある地名。何がある訳ではありませんが、どういう訳か一度は来たかった・・・(トラウマを解消するため?)。

事前調査がないままに訪ねてしまったために、ただ見て歩いてしまいましたが、背景等を知っていると知らないでは見る角度が全く違っちゃいますね。反省です。

画像 835

勿来の関は、白河の関(福島県白河)、念珠ケ関(山形県温海温泉)とならんで“奥州三古関”と呼ばれ、奥州への入口として知られる関。
画像 834

昔、勿来を読めず苦労しましたが、今回、その「勿来」が「来る勿かれ」の意味だったとは・・・初めて知りました。この先へは来るな!という意味らしい。蝦夷の南下を防ぐために築かれたとはね~。

源義家の像は、八幡太郎義家が奥州征伐のとき、ここに駒をとめ「吹く風を勿来の関と思えども道もせに散る山桜かな」と詠んだと伝えられる。
画像 832


《この先はブログから》
ここは古くから和歌の歌枕の地として知られ、多くの歌人達が歌を詠んでいて、園内にはその歌碑が18個ありました。この歌枕が一躍有名になったのは
小野小町(809-901??)の歌で、
  みるめ刈る 海人のゆきゝの 湊路に  勿来の関も わが据なくに (新勅撰和歌集)

のおかげ。彼女の出生地は秋田県湯沢市、福島県小野町など、東北だという伝説がいくつもあり、その伝説に従えば、勿来関に実際に来たことはなくとも、土地勘みたいなものはあったのかもしれません。実際に彼女の歌には海が出てきますし、実際の関所は小高い山の上にあるのですが、常陸の海が眺められます。 
ほかにも、紀貫之(872?-945)の
  惜しめども とまりもあへず 行く春を 勿来の山の 関もとめなむ             

藤原実方の
  ほととぎす 勿来の関の なかりせば 君が寝覚めに ますぞ聞かまし             

など、多くの歌人が「勿来の関」を歌っています。

実際にやってきたのは八幡太郎と称された源義家(1039-1106)です。「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされましたが、ロマンチックな歌人でもありました。千載集に掲載された一首が、
  吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る 山桜かな

です。前九年・後三年の役あたりで奥州に向かうときに詠んだのでしょうか。
芭蕉、近代に入ってからは斎藤茂吉などがここを詠んでいますが、関所の役割を終えた江戸時代には宿場町化していきます。
画像 836
↑ 源義家の和歌。
画像 837
↑ 小野小町の歌。
画像 838
↑ 芭蕉の句。
画像 839
↑ 紅梅がほころび始めた。
画像 842
↑ 吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る 山桜かな(源義家)
   この歌にちなみ、名付けられたのが「吹風殿(すいふうでん)」です。
《吹風殿とは》
歌が詠まれた平安時代の邸宅を模した体験学習施設は、今まさに、現代の歌人を待っています。来館者の皆様には、平安時代の雰囲気を味わい、体験していただく憩いの場、歴史・自然に触れ合う総合学習の場、野点、歌会、伝統芸能などの発表の場としてご利用いただけます。
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
我が家のささやかな鏡開き
2010-01-12-Tue  CATEGORY: グルメ(その他何でも)
【鏡餅とお供え餅を下げて】1/11(祝)

以前はむき出しの「鏡餅」「お供え餅」を夫々の場所に供えたものだが、ここ20数年、真空パックに入った「餅」が定番となってしまった我が家の正月風景。

それでも気分は以前と変わらずに・・・11日になれば「鏡開き」は忘れずにチマチマと実施。まぁ~笑ってやってください>笑<

なお、鏡餅とお供え餅の違いに定義はないようですが、重ね餅のうち床の間に飾るものを「鏡餅」といい裏白や昆布、譲葉や干し柿、橙などで飾るが、何も飾らない「お供え餅」と区別しているようです。

画像 003
↑ 真空パック入りお供え餅。鏡餅は切られちゃったので慌ててお供え餅をパチリしました。
画像 005
↑ スーパーで購入した餡子に鏡餅を入れて「おしるこ」の完成。梅や紫蘇でバランスを

ページトップへ  トラックバック0 コメント6
魚の宿 ”まるみつ”で舌鼓(あんこう鍋求めてNo3)
2010-01-12-Tue  CATEGORY: 我が家の旅行
【本日のメインイベント”あんこう鍋”料理】1/9(土)

画像 862
↑ 今回は大きなお口を開けた”あんこう”を掲載


今回の日帰り旅行は「あんこう鍋」がメイン。一昨年のテレビで見て知った平潟漁港の「まるみつ」に電話。あんこうのフルコースと、うまかっぺ膳を予約。

コースごとに区分けされてテーブルに載るのかと思いきや、両方のメニューがごっちゃになって出され、どれがどっちの料理なのかが判らなくなっちゃいました。

鍋も両コースを一緒にして一つで済ますなど、スペースの関係もあるのかも知れませんが、折角の注文が物足りなさを感じてしまうのはケン坊だけでしょうか・・・折角、豪華版で楽しもうと思ったのにね~

やむを得ず、写真は単品でアップしましたので豪華さはありませんが、お腹(ボリューム)は満タン、お口(お味)は満足、頭(達成感)の中は満点でした。

今日は運転手に徹してますので飲めません。お茶で「あんこうのフルコース」は残念な気もしましたが、料理に集中できましたから良かったかも・・・

画像 830
↑ 到着しました「魚の宿 まるみつ」の玄関。
画像 815
↑ 先ずは”お通し”
画像 814
↑ ”刺身の盛り合わせ”。器?が大きくてネタが少なそうですがボリュームはたっぷりです。
   特に生海老は甘みがあって実に美味しかったですね~
画像 817
↑ ”メヒカリ”の天婦羅。塩味で美味しかったですが量が少ないじゃん?
画像 818
↑ ”あんきも(生肝と蒸肝)”と、コラーゲンたっぷり”皮の部分(昆布みたいに見える)”
   その他・・・名前が判りませんが、あんこうの部位だと思います・・・ 
   タレはポン酢と「アン肝のトモ酢」です。この”トモ酢”がまたまた美味しかったですね~
画像 822
↑ ”あんこう鍋”⇒どぶ汁。
   ほぼ無くなってから写真を失念していたことに気付く大失態。ブロガーの自覚無し?
画像 826
↑ 最後はやっぱり”ぞうすい”でしょうね。仲居さんが手際よく・・・。
   どぶ汁の具を全て食べないと仲居さんは雑炊の準備をしてくれません
画像 827
↑ 飲んだ後の”雑炊”も美味しいですが、飲まなくてもアンキモの”雑炊”は美味い!
画像 829
↑ ひょうきんなノレン・・・もちろん”あんこう”です。
画像 885
↑ 戦のあとの支払いは・・・厳しいっすね。高いか安いかは金額ではなく”満足感”次第。
   料理の並べ方も味の一つなので考えて欲しいな~ 
   でも正直言って”雲舞(うんまい)”。これは茂木牧野の蕎麦焼酎の商品名ですね・・・
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
ヒマラヤスギの”花炭”モドキができました
2010-01-11-Mon  CATEGORY: 公園・栃木県総合運動公園
【ジャジャジャジャ~ン 初めてにしては?】1/10(日)

失敗すると材料が勿体ないので、使用する”松ぼっこり”は大きさも形もレベルも中程度のを選んで”実験”に臨みました。

先ずは缶の蓋にクギ穴を空けて、
画像 982

頭変僕さんからご指南を受けたように「杉&松ぼっくり」を缶に入れました。缶が爆発しないように手を合わせながら、”ぼっくり”を入れた缶をガスコンロの上に・・・

火を点けると間もなく、クギ穴から薄い煙が立ち昇って~~~おぉ~大丈夫か~・・・魔女が心配そうに顔をしかめながらコンロを遠巻きに見つめる。
画像 983

時間の経つのが遅い。 ご指南の30分・・・やっと経過し火を止めました。果たして結果は・・・それから待つこと更に2~30分(自然に冷めるのを待った)。 これでいいのかな?

イザ ご開門! 
臭います・・・換気扇はもちろん全開してましたが松(杉?)の木の焦げた臭いがプンプン・・・楽しみ?
ケン坊と魔女の真剣な眼差しが缶の中に注がれました。おぉ~黒い真っ黒だね~ うまく出来てるんじゃないか? なかなかじゃん・・・第一号の完成です。

画像 979

画像 981



*近々 花炭の本番をやりますよ!
ページトップへ  トラックバック0 コメント10
小名浜の”いわき ら・ら・ミュウ”(あんこう鍋求めて No2)
2010-01-11-Mon  CATEGORY: 我が家の旅行
【岬全体が三崎公園となっている?】1/9(土)

画像 861
↑ 今回の目玉ですので、今日は右側からの映像を載せてみました

さて、塩屋崎灯台から6~7㌔南下すると三崎公園に高くそびえる角ばった展望台が見えてきました。正直言って、マリンタワーは”ついで”の積りで寄った感じですかね。
それよりもパンフレベルでは「潮見台」が凄いというので・・・期待してました。でも肝心の場所を撮り忘れ>涙<

ケン坊のイメージは小名浜漁港といえば「魚市場」。茨城県那珂湊の魚市場は何度も出掛けてますので、その延長で考えていましたが、最近の小名浜には「いわき ら・ら・ミュウ」なるものが出来たんだとか?
魔女は一度利用していて、ある程度記憶にあるらしく・・・あぁーだこぉーだと言ってますが道は覚えてないらしくて。

取り敢えずは順を追っていきましょう。慌てないあわてない一休さん・・・です。

《三崎公園マリンタワーと潮見台》
マリンタワーは灯台と違って、完全に観光用でしょう。岬全体が公園になっていて、小名浜港が見渡せる高台にあり、敷地面積70万平方メートルの県立自然公園になっているとのこと。

場所は小名浜港の東側にあり、全体の敷地も広いので利用する施設によって駐車場を選んだ方がいいみたいです。歩いてもそんなに時間はかからなさそうで、むしろ健康的・・・でも場所によってはやっぱり近い方が良いかも。

公園内には、展望施設の他『ピクニック広場』『人工芝そり』『野外音楽堂』『国民年金健康センター』などの施設があります。その他に、ケン坊が期待の『潮見台』がありましたが、海上通路は崖から海上に向かって13mも伸びていて高所恐怖症のケン坊には厳しい場所?>笑<

画像 794
↑ いわきマリンタワー。@320  正直のところ「塩屋崎灯台」のほうが好きです
画像 805
↑ E&T?  いわきマリンタワーは遠くから見たほうが良いかも
画像 798
↑ マリンタワーの展望台から見た「小名浜市街」。漁港を除くと漁村の面影がなく大都市ですね~~~
画像 800
↑ 潮見台の入口です。これに登れば良かったんですが・・・何となく下を歩いて潮見台へ
画像 801
↑ 潮見台から見た波打ち際を・・・足の下は海なんですが、でも震えてませんよ~
画像 803
↑ こちらも潮見台からの眺めです。絶壁の岩に打ち寄せる波が・・・


《いわき ら・ら・ミュウ》
小名浜の魚市場”ら・ら・ミュウ”へ・・・タワーから車で5~6分?(道を間違わなければ>笑<)。

【ネットにお助け請う】
いわき・ら・ら・ミュウ(いわき・ら・ら・みゅう)は、小名浜港にある海の駅いわき小名浜みなとオアシス、1・2号埠頭地区(アクアマリンパーク)にあるいわき市観光物産館のことで、その愛称名とか。

つまり『いわき ら・ら・ミュウ』とは、「いわきのいいものぜんぶある」をキャッチフレーズにした観光物産センターです。館内には「いわき」のすべてがギッシリつまっています。観てよし遊んでよし、味わってよし!とっておきの思い出とお土産をご提供いたします。

館内は以下の4つのエリアに分けられています。
○レストラン……潮騒を聞きながら、「いわき」ならではの新鮮な海の幸をふんだんに使った料理に舌づつみ。昼も夜も楽しめると好評です。
○おさかな工房……鮮度・品揃え・値ごろ感の三拍子が揃った充実のマーケット。港直送のいわきの海の幸をセリ気分でお買い物できます。
○ふるさと食彩工房……新鮮な海の恵みを自由に満喫できて大盛況。バラエティ豊かに楽しめる食の宝石箱。いわきの自慢の味を召し上がれ。
○ふるさと夢工房……自然の素材、産物を活かした伝統の味を取り揃えたお店やグッズ店がいっぱい。お土産にもおすすめです。

お店のほかにも、いわきの歴史を感じることができる「ライブいわきミュウじあむ」や、小名浜港遊覧船「いわきデイクルーズ」などの施設もございます。

以上、ケン坊が書くよりも判り易い。ほんの一部、写真を掲載します。(鮮魚コーナーのみ)
冬ではあるが、念のため”クーラーボックス”を持参してきたので、多少の買い物は想定内・・・ちょうどいっぱいになる程度の買い物で済みました。
画像 807
↑ 施設の中央入口部分。連休だしお昼タイムだったので団体客も多く賑わってました
画像 808
↑ あんこうやカニの幟り旗が一番目立つ。また団体客が降りてきました・・・
画像 806
↑ 型は小さいが「あんこう」を捌いているところ・・・
画像 809
↑ あんこうは1パック2500~3000円くらいが相場のようだ
画像 810
↑ ここでは一番大きな”あんこう”に31000の値札がついてました。何ともグロテスク・・・
画像 811
↑ カニは相変わらず高いですね。タラバが1パイ(雄)6500円だってさ~
ページトップへ  トラックバック0 コメント4
美空ひばりと塩屋埼灯台(あんこう鍋求めて No1)
2010-01-10-Sun  CATEGORY: 我が家の旅行
【福島はヤッパリ遠かった・・・でも海はトッテモ綺麗だった・・・】1/9(土)

画像 860
↑ 先ずはタイトルに合わせて「あんこう」の写真を・・・シリーズでは毎回掲載?

北茨城へ「あんこう鍋」を食べに行くついでに、少し足を伸ばして「塩屋埼」へ行ってきました。先ずは北関東自動車道を走って・・・でも朝陽が眩しくて運転しづらい。でも、30分もすると太陽の高さがケン坊の運転を助けてくれた。

上三川ICからいわき四倉ICまで163㌔なので2時間弱(休憩込み)。いわき四倉から塩屋崎~小名浜~勿来~北茨城と南に下りてくることに・・・

画像 764
↑ 北関東自動車道の笠間SA。コーヒーが飲みたいと自販機とトイレだけのSAへ
画像 767
↑ 海無し県にとって「海」は憧れ? 最初に目に飛び込んできた景色に思わず「海だ~」


【塩屋崎で”みだれ髪”を永遠に歌い続ける美空ひばり】
♪髪のみだれに手をやれば-・・・と、碑の前に立つと昭和の歌姫美空ひばりが突然歌いだす「みだれ髪」。場所は雲雀乃苑(ひばりのその)と名付けられた塩屋崎灯台のふもとです。

病床のひばりの復帰第1作を作詞するため星野哲郎が塩屋埼を訪れ、10月には星野作詞、船村徹作曲の「みだれ髪」がレコーディング。これが大ヒット・・・ひばり最後のシングル曲になったことは有名です。

そんな塩屋崎を見たいとのことから足を伸ばしたわけだが、今日は陽射しがあり海岸沿いも穏やかで、寒くなるとの予報に厚着した御一行は汗ばむくらいで、絶好のドライブ日和になりました。

【ネットから】
「みだれ髪」の 誕生秘話
 彼女の回りで度重なる肉親との別れがあり、そして入院。彼女を勇気づけようと、日本コロムビア 森氏が新曲を企画、星野哲郎、船村徹コンビが結成。
曲作りに当たって星野氏は、森氏から「塩屋埼に行ってみて欲しい。何か分かるはずだ。」という言葉を頼りに、昭和62年 いわき市を訪れた。
夕暮れの波打ち際、暗い海に一筋の光が投げかけられ、それは灯台の灯。そして人気のない海岸線の崖の上に灯台が毅然として立っている。そんな情景が彼女そのものの姿に投影され、「海に向かって男を待ち続ける悲しい女にしよう」と、歌詞が出来たと言う。
曲は、彼女の持っている高音(裏声)を生かすため、今までより半音階高いものとし、サビで裏声になるようキー設定がされている、と言う。

画像 768
↑ 塩屋崎灯台の麓に作られた「雲雀乃苑」。陽射しが灯台方向にあるためちょっと暗めか
画像 769
↑ みだれ髪の3番が碑に刻み込まれ・・・何故3番?かは不明
   判りました:美空ひばりは3番の歌詞が一番好きだったとのことらしい(ブログより)
画像 770
↑ ひばりの碑の前に近づくと「♪髪のみだれに~」が自動的に流れる
画像 772
↑ 雲雀乃苑から100㍍北の海岸に建てられた「幼き頃のひばり像」。
   ここも近づくと突然に歌いだす・・・ひばりの声は永遠に太平洋へ向ってとのことらしい


【喜びも悲しみも幾歳月の舞台だった塩屋埼灯台】
雲雀乃苑を見終えて、折角だから灯台に登って見ようかと階段へ向ったらここにも記念碑が・・・見ると、エー何となんと「塩屋崎灯台」が、あの有名(昔)な映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台だったとは・・・知らなかった。偶然とは言え、灯台へ登ろうとしたケン坊たちへのご褒美かも・・・
画像 776
↑ 灯台長を勤めた田中績さん夫妻が記念碑を建立。碑には歌詞が刻み込まれて・・・

「♪おいら岬の~ 灯台守りよ~」そうです。若山彰が歌った歌です・・・古いね~ケン坊は。

【ネットから】
 塩屋埼を名所にしたのは(灯台職員とその家族が転勤で地方の灯台をまわりながら)灯台長を務めた田中績(いさお)さんの妻きよさんの手記「海を守る夫とともに20年」を基に、木下恵介が監督し、1957(昭和32)年公開した映画「喜びも悲しみも幾歳月」だ。若山彰が歌う主題歌も大ヒットした。
しかし、灯台職員の労苦によって守られてきて灯台も、1993年(平成5)2月に無人化されている。

画像 792
↑ 記念碑のそばには早春の花「スイセン」が咲き始めていました
画像 790
↑ これが「塩屋崎灯台」、階段で上まで登ることが出来ます。@200円。
画像 783
↑ 灯台の上から北の海(四倉漁港方面)を。岸に押し寄せる白い波が幾重にも綺麗です~
画像 784
↑ 太陽の陽射しを受ける海を捕らえたカメラ。たまにはこんな写真も良いかな?
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
ガソリンが2円上がっちゃった
2010-01-09-Sat  CATEGORY: 日記
【今朝は115円だったのに~】1/8(金)

明日から三連休。少し遠出(日帰り)する計画があって・・・朝、ガソリンを入れようかなと思ったが、ここ数ヶ月間115円で変化がなかったし今朝も通りがけに見たがやはり115円。灯油を買う都合もあるので仕事が終わってからにしようと素通り。

そして夜、悠々と再びスタンドへ。レギュラー117の文字が・・・? オカシイナ~ 何度見ても117円だ。値上げ? そんな馬鹿な・・・スタンドの意図的な値上げか? 三連休を前にそりゃ~無いぜ~。

悔しいね~。数ヶ月も変わらなかったのに・・・でも良く考えると30リッター入れても60円なんですよね。目くじら立てるほどの問題じゃないんですが、気分の問題ですよね。でも入れない訳にもいかないので渋々と・・・

画像 759


これから朝食して、北茨城・福島方面に行ってきま~す。詳細は後日報告します。
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
松ぼっくりが”ふくろう”に変身?
2010-01-08-Fri  CATEGORY: なかまとの出会い
【会社でも評判だった”松ぼっくり”】1/7(木)

正月に拾った「マツボックリ」をガラスの壜に入れてみました。思ったより良くなかったかな~というより、壜があまり良いのがなくて・・・ピッチャーはやっぱり生ビールが似合いますね。

会社に女子社員が正月バージョンの生花を飾っていたので、その周囲にむき出しで少し飾ってみたら、意外にこれが好評でした。マツボックリは知っているようで知らなかったみたいで、どこで見つけたかと聞かれました。

画像 753
↑ ピッチャーに入ったマツボックリ
画像 754
↑ 首のある壜にも入れてみました
画像 751
↑ やっぱり「カゴ」ですかね~


ボックリが沢山あるので、魔女が悪友にバスケットへ入れてあげたら・・・お返しにカゴに入った可愛い「ふくろう」を戴いちゃいました。

画像 756
↑ 狭いカゴ温泉に入っている「四人家族の”ふくろう一家”」
画像 755
↑ お風呂上がりの”ふくろう一家”・・・ノビノビです。
ページトップへ  トラックバック0 コメント9
春の七草(七草粥は胃に優しい)
2010-01-07-Thu  CATEGORY: 我が家のイベント
【せり・なずな、ごぎょう・はこべら・ほとけのざ、すずな・すずしろ】1/7(木)

今朝は七草粥。そう「春の七草」を粥に入れて・・・香りを楽しむ?ほど具は入りませんので形式的ですかね>笑<
本来、七草粥は朝食が相場ですが、朝の手順の関係?でここ数年は夕食に粥が出てました。今回は朝食に食べたいというケン坊の要望が聞き入れられ、前夜にスーパーに行って材料を買ってきました。

昔、お袋が歌を歌うような調子で「せりなずな、ごぎょうはこべらほとけのざ、すずなすずしろ、これぞ春の七草」って言っていたのを思い出しますが、未だにケン坊には名前と実物がリンクしません。全部を一同にみれば消去方式で何とかなりますが、個々に見せられたらアウトです。

画像 736
↑ これが「春の七草」。見本ですので売り物ではありません。
画像 738
↑ コレが「春の七草」ケン坊家も1パック購入。少ないですが気分ですから・・・
画像 742
↑ 家で広げると、すでにダランと萎えていて・・・写真には耐え難いと訴えております。
画像 739
↑ 今は、千切りし乾燥させた「インスタント」の七草が・・・忙しいご家庭向きかな
画像 740
↑ これも千切りし乾燥させた「インスタント」です・・・少ないご家庭向きですね
画像 741
↑ ついでに美味しいプリンを買ってきて~と言われ・・・
   言われちゃしょうがない・・・と、いつもの倍もするプリンをご馳走しちゃいました
   だからと言って、ケン坊は何も弱みを持ってはいませんよ~勘違いしないでね。
   イチゴの無いプリンがケン坊のです。断らなくても判りますよね>笑<

そうそう、七草粥を忘れそうでした・・・↓ 我が家の七草粥です・・・
画像 743



【ネットから】
七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。
現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に”七草粥”が食べられるようになったと考えられる。
この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。


ページトップへ  トラックバック0 コメント8
赤門と桜で有名な慈光寺
2010-01-06-Wed  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【ここのヒガンザクラは綺麗ですよ】1/3(土)

赤門で親しまれている「慈光寺」。大通りから慈光寺に向う道路は、今でも「赤門通り」として通用している。場所は県庁並びで100㍍くらい東です。

【慈光寺:ネットより】
慈光寺は1775年宇都宮成綱(しげつな)が開基とされ、宇都宮出身の枝源五郎という侠客(きょうかく)が町民によびかけ資金を集め作ったと言われています。江戸時代に宇都宮城の鬼門にあたる北東の位置の慈光寺に朱塗りの門が1778年に完成した。
その慈光寺の赤門は長く地域のシンボルのような存在だったが、戦時中に宇都宮空襲で焼失した。その赤門が63年振りに「高さ約15メートル」の堂々とした門として20年の秋に復興しました。赤と言っても小豆色で、チョット色が濃いかも・・・
画像 724



赤門を潜った第一の境内から見上げる階段に覆いかぶさる「ヒガンザクラ」は、宇都宮で一番早く咲く桜として有名で、樹齢約150年、高さ20mの巨木が花に包まれる姿は圧巻です。

市の天然記念物となっている桜で開花時期にはライトアップされます。桜の季節に改めてご紹介しますので、今回のところは雰囲気だけ味わってください。

画像 730
↑ これが慈光寺の赤門です。どうです立派じゃあ~りませんか?
画像 726
↑ 門の左の「仁王様」。正式名は次回のときまでに・・・
画像 725
↑ そして門の右側にも「仁王様」。正式名は次回のときまでに・・・
画像 728
↑ 赤門を潜った第一境内には「お地蔵さん」が。
   そして奥の階段にかかるヒガンザクラの木。古木なので右側から丸太で支えています。
   今年の桜の季節が楽しみです。
画像 729
↑ 階段を登って第二の境内。ここに慈光寺の本堂が・・・
画像 727
↑ 「慈光寺 開山500年祈念」と「宗祖 法然上人八百年御忌」の赤門大復興之碑
ページトップへ  トラックバック0 コメント8
夢福神めぐりで「九難除け」
2010-01-05-Tue  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【七福神ではなく夢福神めぐり】1/3(日)

昨年は「上三川七福神めぐり」をしたが、今年は「夢福神めぐり」をしようかと宇都宮市内にある「蒲生神社」へ。
蒲生神社は「学問の神様」として有名ですが・・・まさか「夢福神」とはね~
画像 710
↑ 蒲生神社の表参道。相撲にも関係のある神社で初代横綱の明石志賀助の案内板が・・・

【夢福神とは】
 遥か遼遠の頃から中国では、「獏(バク)」は龍と並んで霊獣として人々の信仰を集めています。私たちの悪い夢(厄)や、鉄・青銅(武器)を食べて、良い夢(幸福)と、平和な世界を与えてくれる「獏」の化身が夢福神です。

その「獏」の像を祀った神社を9ヵ所巡って「九難除け」・・・。蒲生神社もその一つであったとは知らなかったが、昨年、蒲生神社を歴史的な感覚で訪れた際に偶然に知り今年こそはと思ってました。
画像 734
↑ 夢福神「九難除け」の神社一覧です・・・

一日で9ヵ所は回れませんが・・・今月中に全部巡ってきたいと思います。
蒲生神社については、昨年1月のブログに掲載したので割愛します。今回は「夢福神」に絞って・・・

なお、栃木県の「九難除け神社」とは、星宮神社・磐裂根裂神社・岩戸別神社・大前神社・蒲生神社・白鷺神社・栃木県護国神社・薬師寺八幡宮・鷲宮神社です。この9ヵ所には「獏」の石像がありますので揃ったら掲載します。

画像 720
↑ 受付で「夢福神めぐり」と言えば必要なグッズが・・・
画像 731
↑ コレがグッズ。手ぬぐい地に「九難の願掛け」が書けるようになっていて・・・
   一難除け、二難除けと順に書いて(巡る順は自由です)
画像 717
↑ 願かけした部分を千切って、指定された場所に結びつけます
画像 732
↑ 最後に残った大きな布は家の中の「神聖な場所」に飾っておきます。

九つの願掛けも良し、同じ望み(願掛け)を九つ書いても良し、それを各神社に1個ずつ結ぶだけでOK。後は夢が叶うことを待つのみ・・・イヤイヤ、もちろん相応の努力をすることが必要ですよ。

ケン坊は何を願掛け(夢)したでしょうか・・・それは内緒。今年は何となく夢が叶えられそうな予感がします?
所詮は予感だけか?>笑<
ページトップへ  トラックバック0 コメント6
写真の入れ替え
2010-01-04-Mon  CATEGORY: 日記
【我が家の写真を新年モードに】1/1(金)

我が家の玄関や居間そして和室や脱衣所に、ケン坊が撮った写真を拡大(四切ワイド)して飾ってます。10数年前から始めたものだが、季節に応じた写真に架け替えるのに苦労します。

特に冬は適当な写真が少なくて・・・。どうしても日の出や早春の花を早めに飾ることになってしまう。今回も紅葉の時期が過ぎ、冬バージョンに切り替える時期を迎えて悩んでしまいました。

冬場は普段いる「居間」だけの写真を取替え、他の場所の写真には目を瞑ってます>笑<

画像 655
↑ 1~2月に飾れると思われる写真の一部。もうチョット努力して3~4枚増やさねば・・・


*** 日記につき、コメントは閉じてあります ***
ページトップへ  トラックバック0
<< 2010/01 >>
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -


余白 Copyright © 2005 ケン坊の日記. all rights reserved.