ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
渡良瀬遊水地・旧谷中村のガイドと庚申塔&青面金剛(2鶏・3猿)
2017-05-31-Wed  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
H29/05/20撮影 【遊水地への寄り道は想定内...知らぬ案内人が最後まで?】


  レポが飛び飛びで自分でも”何時のこと”って感じ>笑<

            もう10日前のことなんですよね~

野木町・煉瓦窯の後は...隣接の”渡良瀬遊水地”へ寄り道


     そうそう 煉瓦場では必要な粘土は谷中村から

  そして砂は思川から舟で運んでいた...近い筈ですね

 車だと1分   ケン坊が駐車する場所まで6~7分かな?

※旧谷中村では養蚕が盛んだったので桑の樹が未だに生い茂ってます
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ケン坊は何度も訪れている旧谷中村ですが

1~2度来てると思ってた魔女が初めてと言うので案内役を

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旧谷中村役場跡付近の桑の大木に”でっかい猿の腰掛”?

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旧役場跡から青々とヨシが密生する遊水地を望んでみた

う~ん いつ見ても広々とした遊水地ですね~

遊水地が出現した背景を想う度に、谷中村民の無念さが

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その歴史を訪ねる人は今でもチラホラと見られます

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魔女に歴史を説明してたら...突然謎の人が案内役に

あんたは谷中村のガイドさん?  一方的にアレコレと...

あぁ~ 今日は調子狂っちゃったな~

※写真はマイヅルテンナンショウ
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やはり谷中村を案内するには雷電神社は欠かせません

ここでガイドと別れようと思ったが...また付いてキタ~

結論:謎の人物は古河在住で最後までマイペース案内人?

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あの田中正造がこよなく愛した雷電神社のあった高台

その歴史人物の熱き想いを胸に魔女は何を感じたのかな?

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延命院跡と釣鐘、近くには共同墓地(写真左)がありますが

谷中村と縁のある親子らしき人達? 

共同墓標の前で暫く手を合わせたり墓石を眺めてました

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何時もは延命院でUターンするのが常だったが

今回は従来と違うルートで...通り抜け?

延命院から1分で十九夜様、庚申塔の石碑が立つ場所に

この類の石碑はアチコチで見かけるので決して珍しくない

今まであまり意識して無かったが”対”の石碑が本来の姿?

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青面金剛の足元に踏んずけられてるのは邪鬼

あれ? 石碑の中段下の部分に三猿が彫られてる?

良く見ると鳩にも鶏にも見えるが2羽...

”庚申塔”...ネット検索でケン坊の無知が暴露>超恥<

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【庚申塔と青面金剛について】ネットからお借りします
~~~前略~~~
一般的にこの青面金剛は庚申塚とセットになっており様々な場所にある。寺院にも
あり神社にもあり、厳格な神社では鳥居の内側には入れないようなポジションで
「置かせている」場合もある。もともと神道でも仏教でもなく、中途半端な立ち位置
のまま廃仏毀釈などの波を経た歴史の証人でもある。
青面金剛の下部にあるレリーフ、三猿は「人間の悪事を天帝に報告する三尺の
虫」から来ているとされ、報告を「見ざる・言わざる・聞かざる」で宜しく!ってこと
らしい。
この思想は元々中国の道教のものであり、しまいには神社、寺を問わず置かれ
ているのだから宗教観は無いに等しく、いわゆる民間信仰にしても無茶苦茶で
ある。しかも現実には日々の信仰ではなく、庚申の日に庚申講という名のドン
チャン騒ぎをするための免罪符的位置付けだったという。
客観的に考えれば神仏混交我田引水支離滅裂な話だが、早い話庶民のガス抜
きである。日々のきつい労働や改善しない暮らし(これは現代でも似たようなもの
だが)の中でこの日だけは大目に見てね的シンボルなのである。
個人的に谷中村の痕跡はこの青面金剛が何よりも雄弁に物語っているような気
がする。谷中村に住んでいた人々の姿を感じるのだ。
~~~以下、略~~~


【庚申待と庚申塔の石碑】ネットからお借りします

庚申塔の石碑は江戸時代に流行した、ある信仰に由来があります。江戸時代頃
には人間の体の中には「三尸(さんし)虫」という虫がいて、日々の悪事を監視して
いると考えられていました。
庚申の日(暦には十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞が決められて
いる。寝ている間に体の中にいる三尸虫が閻魔(えんま)大王に その悪事を報告
しに行くと言われていました。
そして報告された内容によっては寿命が短くなったり、死後に地獄に落とされたり
するのだそうです。
「じゃあ、寝ている間に三尸虫が閻魔大王に報告にいくなら、寝なきゃいいじゃん!」
ということで始められたのが「庚申待(こうしんまち)」です。
庚申待の時には近所の人達で集まって徹夜をして お酒を飲んですごす ということ
が全国的に流行していたそうです。
庚申待を3年間(18回)繰り返すと、その記録として「庚申塔」や「庚申天」と刻んだ
石碑を建てたのだそうです。
街道沿いや集落の入口など、江戸時代までは いたるところにたくさんの庚申塔が
あったと言われています。

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踏み跡を1~2分進むと遊水地内の道路へ...

道路から見る”雷電神社(左奥)と共同墓地(中央)”の風景

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直ぐ遊水地が現れた...最近、縁結びのパワースポット?
(遊水地が♥型しているので最近では若い人達に人気だとか...)

湖面を渡る風が爽やか  ヨシに囲まれてたので余計感じる

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そこで奇妙な花?を見つけた...何だか気味が悪いが

家で調べたら”イタチハギ(別名:クロバナエンジュ)”だという

何でも山や道路等の法面緑化のため植えられたらしい

つまり、遊水地のイタチハギも人工的に植えられたのかも?

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こんなにも蔓延ってます...植物に責任は無いのですが

外来種は何でもかんでも悪ものの代名詞のような響きが...

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さて、遊水地のガイドさん? 最後までご一緒でしたよ>笑<

一人で遊水地に来たが飽きてたようで遊んであげちゃった!

世の中にはいろんな方がいらっしゃるんですね~



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渡良瀬遊水地で”ヨシ刈り”の現場を直撃
2016-02-20-Sat  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
28/02/13撮影 【3年越しで遂にリベンジ成功! 遊水地でヨシ刈りを...】


  今年も母の命日(前後)を意識してお線香あげに実家へ

          そして渡良瀬遊水地へ寄り道

   一昨年8月が最後だから、かれこれ1年半経ってます

 今回も第二調節池近くの「生井の桜堤」に車を止めて...

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さて、今回は何が目的だったのかと言えば...

日除け(よしず)の原料”ヨシ刈り”の現場を実際に見ること

そう 3年前は空振りだったので、そのリベンジです

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目を凝らして見ると”らしき作業車両”を発見!

目標は定まった”よし(ヨシ)行くぞ!(吉幾三)”と勢い込んで

いよいよ調節池に”足(葦)”を踏み入れた... 

3年前と全く同じ駄洒落 何回言ったら気が済むの?>笑<

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昨年9月の水害でかなり傷められた場所もあるが...

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ココは既に刈り取られた場所...まだまだほんの一部

3月中旬には”渡良瀬遊水地のヨシ焼き”のイベントがあり

この時期、入札で権利を得た業者は刈り取りに必死

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漸く目の前に”ヨシ刈り”の現場が現れた

入口近くにいた男性に許可をもらって撮らせてもらいました

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先ずは刈り取る場所のヨシに絡む他の枯れ草を取り除き

地面に近い位置から真横に出てるカッターで刈りながら進む

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約10㍍弱を刈り進むと、運びやすい一束になるようです...

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刈り取った一束分を抱えて近くの仮置き場に重ねて置きます

この時点では、ヨシの根本部分に枯れ葉がついてます...

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すると”別動隊”が4~5人(近所のおばちゃんたち?)が

根元の枯れ葉を取りながらヨシを選り分ける作業を担当

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コレが選りすぐったヨシの束

これは第一段階で、この後、更に選りすぐり作業がある?

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選りすぐった束を一ヶ所に集める...これも作業です

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そしてトラクターに積んで自宅の作業小屋へ運ぶんですね

僅か30分の”ヨシ刈り”の見学も初めてだったので満足です!

まぁ 作業は想定の範囲でしたが実演は別物です...ね

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3年前は”生井の桜堤”の駐車場は10数台でしたが

今年は簡易の駐車場が延々と続く...”ヨシ焼き”のため?

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こちらが3年前の「空振りヨシ刈」風景です



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送り盆も終え...またまた旧谷中村遺跡への寄り道
2014-08-17-Sun  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
26/08/16撮影 【近くを通ると何故か足が向いてしまう”旧谷中村遺跡”です】


        旧谷中村の悲惨な歴史を決して忘れまい!

   元はと言えば”足尾銅山からの鉱毒”が発端の筈だが

         時の政府は渡良瀬川の洪水が原因として
     (財閥経営の足尾銅山操業停止ではなく意図的に洪水が原因とした?)

    洪水防止策に渡良瀬遊水地を設けることにした...

         結果、谷中村は廃村・強制排除させられた

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今日は8/16の送り盆、谷中村とお盆とは直接関係ないが

     なぜか吸い込まれるように谷中村へ寄り道を...

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        駐車場から徒歩2~3分で旧谷中村役場跡

  生い茂る葦の奥に役場や屋敷跡等が塚のように見える

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             そして大木となった桑の木です

        たった一本で写真いっぱいに枝葉が延びて

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      ”サルノコシカケ”って桑の木にもできるんですね

         根元にも(茶色の)大きなのができている

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     谷中村役場跡とセットで寄るのが”旧谷中村遺跡”

   雷電神社の跡、 延命院の跡と共同墓地がいまもある

         大きな桑の木が遺跡への門番のようだ

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     遺跡まで徒歩数分だが両側は葦に覆われている

                途中”延命橋”があるが

      付き添いの方の押す車椅子の方とすれ違う...

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             所々に数枚の板が葦の中に?

       何だろうと疑問を持つが確かめる勇気がない

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   遊水地のアチコチで見かける”ヒルガオ”のようですが

            ケン坊が見た中で一番大きい?

       我が家の庭に咲く朝顔なんかよりも大きい!

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       田中正造翁が深く崇敬したという雷電神社跡

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      直ぐ近くの”共同墓地”が静かに時を刻んでいる

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             寄り添うように3本の墓標が...

     そしてお迎え盆で墓参りされた際の花だろうか?

            墓標の前に手向けられていました

 今だ合同慰霊碑に移されず、ここに眠っているのでしょうか
      (合同慰霊碑は渡良瀬遊水地の北エントランス入り口の外にある)

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         共同墓地の反対側には”延命院跡”が...

  延命院の鐘が今も共同墓地に眠る方々を見守っている

           ケン坊にはそんな気がしてならない

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      今年も旧谷中村遺跡を訪れることが出来ました

        ケン坊には手を合わせるしかできませんが

   せめて旧谷中村の史実は正しく知っておきたいですね

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     旧谷中村は何度かケン坊のブログに登場しますが

       忘れてはいけない出来事なんです

また訪ねてみますが、これからも忘れた頃に登場するかも?

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渡良瀬遊水地で3年振りのヨシ焼き...果たしてその後は?
2013-03-29-Fri  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
25/03/20撮影 【遊水地も寄り道? そう、ケン坊の実家は県南の野木町なんです】


       今回も彼岸の中日に寄り道した続報です...


             第一弾が”三毳山のカタクリ”

        第二弾は”天平の丘の薄墨桜とハクモクレン”

          第三弾も”天平の丘公園の枝垂桜”

          第四弾は”東国百花の寺”成就院”


 今回は”遊水地のヨシ焼き・その後”です>笑<



    今年こそ”渡良瀬遊水地のヨシ焼き”現場を見たい

        その願いも叶わず日曜出勤に...残念!


   少し前に歩いた渡良瀬遊水地(↓)はどうなったのか?

         せめて”ヨシ焼き・その後”を見てみたい

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        土手から見ると凄い焼け野原と思いきや

        あの光景から想像できない静かな野原?

     まだ”ヨシ焼き”から3日しか経ってないのに...

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     ケン坊たちが歩いたコースも土手から丸見えです

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   釣り池も直ぐ近くに? 随分と歩いた気がしたが...

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          再び遊水地に足を踏み入れてみました

     いつもの調子で土手を降りると靴が潜ってしまう?

           ふわふわ...灰が溜まってました

   良く焼けましたが、ヨシの根元はシッカリと残ってます

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          小さな木々は黒く焼け焦げてますが

   大きな樹は表面は焦げてますが燃えてないようです

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     与良川支流も灰が澱み...まるで川が窒息?

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              今年は3年振りの火傷かな

       ヨシ焼きのたびに大火傷をするのでしょうね

    必要とはいえ、樹木には年に一度の大変な試練です

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      ヨシの新芽? まさか~ それじゃ燃え残りか?

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             アレだけの猛火にも係わらず

         土手に咲く花たちは助かったみたいだ

菜の花も

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オオイヌノフグリも全身が灰に埋もれながら

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そしてスミレも

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    今度は若葉の生い茂る頃にこの地を訪ねてみたい


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遊水地へ行った目的は”ヨシ刈り現場”を見ることだったが...
2013-02-08-Fri  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
25/02/02撮影 【あぁ~久々に気分爽快...ヨシ原を二人で探検してみた】


        今回も渡良瀬遊水地からの報告です!

               前回は入口で遭遇した

   予定外のカスリーン台風ネタに化けちゃった>笑<


               今回のネタへ入る前に

      前回と似た写真1~2枚掲載してスタートです


      第2調節池の土手に作られた”生井桜づつみ”
                 (駐車も10数台OKです)

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     そして調節池の真ん中を横切る形の与良川です

(↓前回登場した与良川の写真)
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      さて、今回は何が目的だったのかと言えば...

  日除け(よしず)の原料”ヨシ刈り”の現場を見ること


  あの震災から2年(実際はその前年も)”ヨシ焼き”が中止され、ヨシをはじめ
  多くの植物の生態系(生育)に変異が起きてるという。
  ヨシも質が低下し、刈り取り作業も大変だという”現場”からの映像をニュース
  で知り...実際の刈り取り場所が判らないままに思いつきで来てみた。



  目を凝らして調節池を見ると”らしき作業車両”を発見!

    俄然”よし(ヨシ)行くぞ!(吉幾三)”と勢い込んで

      調節池に”足(葦)”を踏み入れてみたが... 

*拡大すると微かに判る?(陽気のせいとケン坊の技術が相俟ってボケた~!)
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(作業車両の位置を頭に入れ)いよいよ調節池の探索です

      子供の頃のイメージでは”与良川”の水量は

     殆ど無いと思っていたが...意外にありました

      でも水量の割には流れはあまり感じません?

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 川沿いに歩くと直ぐにY字路がありワダチ見て左へ進んだ

        両側は背丈がケン坊の倍はある”ヨシ原”

         おぉ~ ヨシを刈った跡が出てきました 

             こっちの道を選択して正解!

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       さらに先へ進むとやや大きな池?が現れた

     見ると釣り人二人がきょとんとコッチを向いてた

       考えれば、ザックを背負ったハイカーが二人

     こんなヨシ原を歩いて...変人と思われたかも?

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    池の反対側にも刈り跡があったので入ってみたが

       道が途切れてしまった...その刈り跡には

  束ねられたヨシが2束あるが周辺には人の気配がない

運び出すのを忘れた? 疑問に思いつつ元のY字路へ戻る

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       もちろんケン坊はヨシに関しても素人なんで

            質の良し悪しは判りませんが...

    周囲をヨシに囲まれて青空以外は何も見えません!

           P1170553.jpg

       そのヨシを被写体に...証拠写真を>笑<

           P1170536.jpg

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    出直した道を進むと同じように刈り跡が現れた...

      でも作業車両は見あたらない もう少し奥か?

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            さらに奥へと進むと車を発見!

   いよいよヨシ刈りの現場が見られるか? と思いきや

    なぜか静まり返っていて鳥の声しか聞こえない...

    どんどんと進むも何一つ聞こえてこないし見えない

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  分岐の何ヶ所かにはピンクのテープが縛り付けてある

     山歩きの目印テープを思い出しちゃった>笑<

         周囲がヨシ原で空しか見えないので

  出口を見失わないように目印を付けたものと思われる?

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     歩けども行けども両側は背の高いヨシに遮られ

目的の作業車両はおろか何も見えず作業音も聞こえない!

     やはり事前にヨシ刈りの情報を入手しないと...

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     13時過ぎ、お腹もグゥ~って鳴り出したので

         今日のところは諦めて帰ることにした

       ヨシ刈りにはあまり興味の無かった魔女も

             後ろ姿が心なしか残念そう?

   でも、思いがけずヨシ原の中を歩けて良かったです

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     最近、中国産の”ヨシズ”が安く出回ってますが

            遊水地周辺のヨシを材料とした

    質の良いヨシズを買いたいとは思いますが高い? 

 次は地場産業の”ヨシズ作り”見学を企画しようかな


 今年は遊水地の名物”ヨシ焼きが復活”する予定?
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渡良瀬遊水地で”カスリーン台風”の史実を改めて...
2013-02-07-Thu  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
25/02/02撮影 【まさか寄り道で”カスリーン台風”の史実に出会うとは...】



      渡良瀬遊水地と言えば”ハート型の谷中湖”か

            ”谷中村史跡保存ゾーン”だが

  今回ケン坊が訪ねた遊水地は”第2調節池”です
      (巴波川(渡良瀬川と合流)と思川に囲まれた湿地一帯のこと)

          *地図(↓)内のピンク丸(黒●は生井桜づつみ)
           P1170549.jpg

        先ずは”生井桜づつみ”ですが...
    (生井地区の希望者(オーナー制度)が桜を植えて公園化した場所)

  JR野木駅から西進し松原大橋を渡り最初の信号を左折

            (遊水地の)土手を数分進むと

     公園化された”生井桜づつみ”に到着です

   まだ樹は若いですが10年も経てば花見で賑わうかも

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              そして何より驚いたのは

    公園の隅というかケン坊の車の前の碑と説明板


    カスリーン台風が大きな被害をもたらしたという

               話は知っていたが...

    まさか決壊口跡に出会うとは思っても見なかった

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【カスリーン台風の概要】 ネットから

カスリーン台風は紀伊半島の南海上を北上し、S22/9/15に北緯32度を超えて
から北東に進路を変え、同日夜房総半島南端をかすめ16日に三陸沖へ進んだ。

台風は日本に接近したときは衰弱しており、強風による被害は少なかった。しかし、
台風により日本付近に停滞していた前線の活動が活発化し、関東地方と東北地方
では大雨となった。

関東南部では利根川と荒川の堤防が決壊し、埼玉県東部から東京で多くの家屋が
浸水した。群馬・栃木では土石流や河川の氾濫が多発し、両県で1,100名以上の
死者・行方不明者が出た。

東北地方では北上川が氾濫して岩手県一関市などで大きな被害が発生した。


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      この遊水地周辺だけでも決壊(潰)口が4ヶ所?

         そのうちの一つを...偶然に目にした

           P1170519.jpg

    カスリーン台風の被害をモロに受けた”生井村”は

          昭和10年と16年にも大出水があり

    住民が利根川治水の必要性を訴えていた記録碑!

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     今では治水工事が進み排水機場も出来ている

     この建物は”与良川第1(手前)・第2排水機場

【与良川排水機場とは】 ネットから

与良川排水機場は、与良川流域の湛水被害を防ぐ目的で小山市生井地内に設置
されたもので、現在の第1、第2排水機場の総排水量は、毎秒25.726m3である。

当地域は渡良瀬遊水地に接し、思川、巴波川に挟まれた平坦な湿地地帯であるた
め、長い間、降雨の度に地域一円が湛水被害を受ける”水害常襲地域”であった。

このため昭和5(1930)年「生井村外3ヶ村耕地整理組合」が結成され、昭和9(1934)
年から同11(1936)年にかけて排水機が設置された。
(旧第1機場:排水量は毎秒7m3、エンジン2基(300馬力/基))

その後、昭和22(1947)年の洪水により旧第1機場が水没したため、昭和24(1949)
年から同27(1952)年にかけて「県営与良川沿岸排水事業」が実施され、与良川の
改修と排水機の増設が図られ、旧第2機場が設置された。

また、昭和37(1962)年から同39(1964)年にかけて「湛水防除事業」が実施され、
与良川の最上流部に新荒川放水路を開削し、第3機場が設置された。

さらに、昭和44(1969)年から同47(1972)年にかけて「県営湛水防除事業」が実施
され、毎秒約15m3の排水能力を持つ第4機場が設置された。

そして、昭和53(1978)年から平成元(1989)年にかけて「県営かんがい排水事業」
が実施され、従来の第1、第2機場を老朽化のために廃止し、新たに毎秒10m3の
排水機を設置(第2排水機場)、従来の第4機場を新たに第1排水機場と改名。

現在、第1排水機場の敷地内に、旧第1機場で使用していたエンジンおよび排水機
が保存、展示されており、当時の状況を知ることができる。


P1170556.jpg

               遊水地に絡む川は...

       渡良瀬川・巴波川・与良川・思川・谷田川

   第2調整池で順々に渡良瀬川に合流して利根川へ

     *そのうちの一つ、コレ(↓)が”与良川”です
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     与良川はヨシに囲まれ静かな流れを見せていた

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     さらに続きが...長くなっちゃうので分割です!

    書きなぐりで申し訳ありません 内容については保証なしです>笑<

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ラムサール条約登録:渡良瀬遊水地の炎天下で見た花は
2012-09-19-Wed  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
24/09/13撮影 【期待した花に会えず少し残念だったが景色に恵まれたので...】


 ラムサール条約登録地”渡良瀬遊水地に咲く花”です

      一週間~10日ほど早ければ良かったが...

       清掃兼除草のためか? コースの両側が

  草刈機で刈られてしまって本来見たい花々が消えた?

P1120174.jpg

       写真を撮ろうにも新鮮味がない花ばかり?

     撮っても名前が判らない!  推測と独断で...

          ご存知の方にはご教授を戴きたく
          (写真に番号を付しておきましたので...>笑<)

       いつもの通り写真を並べておきます>謝<



1【メドハギ】

P1120191.jpg

2【調査中?】

  *実の周りに小さな花が咲いていて散ったら青い実が顔を出す?

P1120195.jpg

3【ムラサキツメクサ】
P1120200.jpg

4【イヌゴマ

  *名前には自信ありません...9/19:長さんよりOKサイン!

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5【ツユクサ(水色)】

  *水色のツユクサはあまり見かけない?

P1120207.jpg

6【ヤブガラシ】

P1120219.jpg

7【ノブドウ】

P1120204.jpg

8【カタバミ】

  *カタバミで良いのかな?

P1120225.jpg

9【コシロノセンダングサ または コセンダングサ】


  *どちらでしょうか?・・・9/19:長さんよりの判定で結論です!

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10【アレチヌスビトハギ】

  *普通のハギかも知れません

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11【ヒメシオン】

  *ケン坊の独断です

P1120238.jpg

12【キバナコスモス】

P1120241.jpg

13【ヨシ】

P1120242.jpg

14【アキノウナギツカミ】

  *似た花(ミゾソバ)があって...自信なし

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15【クズ】

P1120249.jpg

16【ワタラセツリフネソウ】

  *新種のツリフネですが...ボケちゃったので写真なし



17【セイヨウアケビ?】

  *違ったかな?

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   次回は機会みて”谷中村史跡ゾーン”を報告


【関連コーナー】

  渡良瀬遊水地・施設景色編
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ラムサール条約登録:渡良瀬遊水地は初秋でも炎天下(案内編)
2012-09-18-Tue  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
24/09/13撮影 【どう見ても消化不良のブログです 何を伝えたかったのかな~】


     今年”ラムサール条約”に登録された湿原

  4県にまたがる”渡良瀬遊水地”を表敬訪問です

P1120174.jpg


【ラムサール条約とは】

昭和46年にイランのラムサールで開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際
会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が
採択されました。

この条約は開催地にちなみ、「ラムサール条約」と呼ばれています。日本国内では、
37か所の登録がされていましたが、今回の締約国会議において、渡良瀬遊水地を
含め、9か所が新たに登録になり、日本国内での登録地は46か所となりました。



【ラムサールの3つの柱】

保全・再生 水鳥の生息地だけでなく、私たちの生活環境を支える重要な生態系と
して、幅広く湿地の保全・再生を呼びかけています。

賢明な利用 ラムサール条約では、産業や地域の人々の生活とバランスのとれた
保全を進めるため、湿地の「賢明な利用(ワイズ・ユース)」を提唱しています。

賢明な利用とは、湿地の生態系を維持しつつそこから得られる恵みを持続的に活用
することです。

交流・学習 ラムサール条約では、湿地の保全や賢明な利用のために、人々の交流や
情報交換、教育、参加、啓蒙活動を進めることを決議しています。


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【渡良瀬遊水地の概要】

渡良瀬遊水地は東京から約60kmに位置し、4県(栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県)
の4市2町(栃木県栃木市、栃木県小山市、栃木県野木町、群馬県板倉町、埼玉県加須市、
茨城県古河市)にまたがる本州最大の遊水地です。

遊水地には、渡良瀬川、思川、巴波川の3つの川が流れ込み、約4k下流で日本一大きな
利根川に合流しています。

渡良瀬遊水地は南北に約9k、東西に約6k、周囲の長さが約30kで堤防や台地により
囲まれています。その広さは、約3,300haです。また、緑豊かな広大なヨシ原が
特徴で、貴重な動植物が数多く確認されています。

これは、遊水地の機能を保持するために、ヨシ原や沼を自然に近い形で残してきたことに
よるものであり、かつ、低地における広大な自然環境が保全されている渡良瀬遊水地は、
まさに「自然の博物館」ということができるでしょう。


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  今日は渡良瀬遊水地の”谷中ブロック”を周回する形で
            (ハート型の谷中湖のうち真ん中部分)

            ぐるりと散歩?してきました

      中央エントランスの駐車場に車を止めて...
              (写真↓中段左端にあります)

P1120425.jpg

      先ずは”谷田川に架かる下宮橋”を渡ります

  欄干に彫られたヨシと野鳥が遊水地のシンボルです!

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      下宮橋を渡ると遊水地が前面に大きく広がる

     そして遊水地を分けるように真っ直ぐな滑走路?

           道路が青空が・・・どこまでも続く!

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           道路を挟んで左側が”北ブロック”

   ☆ウインドサーフィンやカヌーなどの利用ができる

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           道路を挟んで右側が”南ブロック”

      ☆ルアー・毛ばり釣り場として利用ができる

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          西橋の先に”中の島”があります...
               (写真は中の島の一部です)

      中の島から左に行くと”子供の広場ゾーン”へ

           ケン坊はひたすら真っ直ぐに歩く

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           バードウォッチングの場所? 

     以前からあったんでしょうが気付かなかった!

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        刳り貫いた窓から見る光景はコチラ↓

   写真のアングルはイマイチですが夫々が絵になります

P1120186.jpg

        中の島を後にしてひたすら東橋へ...

 後ろから一気に追い抜いていった自転車!(あっぶね~)

  近々、遊水地でイベントが行われるので練習みたい?
      (間もなく東橋です...写真中央の白いのが欄干です)

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             東橋から見る前方の景色...

              写真中央に見える煙突は?

     そう ”野木レンガ窯の煙突”と周辺の施設です

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     そして西側を見ると”北橋”と”浮島”が見えます

        浮島は野鳥の住処として数多くあります

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          そして対岸に到着したケン坊は...

  左折し湖岸に沿って”谷中村史跡保存ゾーン”へ向かう

       炎天下を淡々と歩きます>汗・水・汗・水<

           そして谷中村史跡保存ゾーンは

        両側は”ヨシ”でビッチリと囲まれてます

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       谷中村って”養蚕”で生計していたのかな?

               遊水地の道路沿いには

        とてつもない大きな桑の木が見られます

          ↓この桑の木も高さ10㍍はありそう

             幹の太さもご覧のとおり...

           P1120244.jpg

  今年は猛暑のせいかアチコチでこの看板に出会います

              そう スズメバチの巣です

       怖いので”君子危うきに近寄らず”です>笑<

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      この変わった構造物は”ウォッチングタワー”

     ”ヨシ原浄化施設”の管理棟です(高さ15.7㍍)

    屋上では自然観察もできるし遊水地が一望できる

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          ウォッチングタワーからの眺めです

           一面が緑(ヨシ)に包まれています

P1120268.jpg

     この広い空間をケン坊が独占?(そんな事ない)

P1120272.jpg

       炎天下を歩き通して90分...アヂーっす!

    ウォッチングタワーから北橋経由で中の島に向かう

          往路で渡った”東橋”が見えます

P1120278.jpg

        天気が良すぎて日光連山の姿も見えず

     空と湖の青さだけがどこまでも広がるだけ...
            (写真右の白い建物?は”北水門”です)

P1120279.jpg

         関東の水瓶のダムが水不足する中で

   渡良瀬遊水地は満々と水を貯えて緊急に備えてます

          しらさぎ?が優雅に飛び回ってます

     やはり渡良瀬遊水地は”野鳥の楽園”ですね!

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   反省! レンタサイクルを利用すべきでした


     次回は”渡良瀬遊水地に咲く花たち”を予定?


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渡良瀬川
2010-04-24-Sat  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
【渡良瀬遊水地に沿って流れる渡良瀬川の自然百景】4/18

渡良瀬遊水地は何度も見ているが、渡良瀬川はあまり歩いたことがない。お兄ちゃんのサッカーに飽きてきたらしいので、りゅうくんとすずちゃんの二人を連れて(もちろん魔女の応援も得て)遊水地と河川敷きを分ける堤の上を走ったり歩いたり、ボールが土手を下まで転げ落ちると追いかけ・・・結構な運動量になりましたよ。

河川敷をみると広大な渡良瀬川が横たわり、菜の花もそれなりに咲き誇り昔の風景を思い出すひと時であった。橋があり山があり物思いに耽っていると、モンシロチョウを追いかけるりゅうくんは道なき道を歩き回り・・・。

ところで、すずちゃんは? 魔女と何やら話しながらゆっくりと歩いてくる。思えば遠くへ来たもんだなんちゃってね。サッカー会場ははるか彼方へと遠ざかり、歩いてきた分だけ歩いて戻らなくちゃ・・・

流石に疲れたのか、すずちゃんは魔女の背中を欲しがっている。一方でりゅうくんは元気ハツラツで一人でどんどん走って戻っていく。ケン坊はどっち付かずでちょうど中間あたりでカメラを片手にキョロキョロしながら歩く。

ここでハプニング。りゅうくんが犬に追いかけられている光景が目に入った。でも大人(飼い主)もいるのに何故? 猛然とダッシュしたケン坊。 泣き出したりゅうくんに飼い主がしきりに謝っているところへ到着したケン坊。

もちろん飼い主に説教したのは言うまでもありません。幸いにも怪我がなくて良かったが・・・人が遊ぶような場所で犬を放すなんてマナー違反なんてもんじゃない。何を考えているんだろう年配者のクセに。
もしも噛まれていたらと思うとゾーッとします。


画像 613
↑ 先日のヨシ焼きで綺麗に灰になった焼け跡から新芽が出てきてます。
画像 614
↑ カラスノエンドウ?
画像 617
↑ 河原のヨシが風に揺れて・・・その奥に渡良瀬川と菜の花が織り成す光景が
画像 618
↑ こちらは、菜の花と”藤岡大橋”。
画像 620
↑ 今日の渡良瀬川は大人しい川です。両岸に咲く自生の菜の花はまさに自然体・・・
画像 622
↑ こんな静かな川に歴史があったんですよね~。
画像 626
↑ これは? タツナミソウの仲間かなと思ったら”カキドオシ”らしいです
画像 628
↑ やっと追いついた魔女とすずちゃん。りゅうくんと三人で一緒にパチリしました。
画像 630
↑ こんな自然の山河を見ると、ココに来て良かったな~と思う。
   孫たちにはまだ判らないと思うが・・・
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旧 谷中村へ(in渡良瀬遊水地)
2010-01-29-Fri  CATEGORY: 渡良瀬遊水地紀行
【風化させてはならない足尾鉱毒事件と渡良瀬遊水地】1/17(日)

久しぶりに「旧 谷中村跡地」に来ました。どういう訳か、ケン坊には懐かしい風景に思えます。何年かに1回は必ずこの地は忘れずに訪れます。
画像 140

日本公害はいろいろあれど、ここ谷中村を舞台にした足尾鉱毒事件は日本公害の原点です。企業責任の追及が弱く、住民の意向を無視し、無理やり谷中村を廃村に追いやった当時の政治・・・追われて周辺各地に移り住んだ人や、遠く北海道にも村民が移り住んだという厳然とした歴史。ついつい足が向いてしまいます。

今でこそ、レジャーやスポーツのメッカとして賑わっていますが、歴史的な谷中村の惨劇の上に現在があることを知っている人がどれだけいるか疑問です・・・当時の国・県・地方の政治はどうなっていたのかは本でしか知る由がありませんが。
画像 149
↑ 「谷中村役場」跡は小屋の左裏手です。
   小屋は役場脇に建っていた「大野孫衛門屋敷」です。

今日は、行田から来たという70歳前後のオジさんを案内しながら(一緒に歩いただけ?)谷中村の史跡をめぐりました。東武の柳生駅から歩いてきたというオジさんは谷中村は初めてということで、ケン坊が案内板を写真に撮っていると、「そうだよね~ 家に帰ると忘れちゃうから」と言いながら同じように案内板をアチコチ撮ってました。(もしかしてブロガーか? >笑<)

そして、谷中村の歴史を知るにつれて、何か現在の八ツ場ダム(河原湯温泉)や沖縄の普天間米軍基地、そして一昔前の成田闘争を思い出してしまいます。ようやく方向性が出され、まさに「最後の工事を迎えた八ツ場ダム」、「日米合意していた普天間移設」・・・表現は悪いが「寝た子」を起こしたというか、「虎の尾」を踏んでしまった。

選挙のためのリップサービス発言? 地元民の気持ちを弄ぶ発言は一刻も早くやめて欲しい。普天間移設問題では閣僚がバラバラ発言で笑いものに。どちらに転んでも大丈夫なように役回りを得ての発言なのか?

さて、話が現在に飛んでしまいました・・・谷中村についてはいろいろと言いたいこともあるが、史実をあまり知らないで無責任なことは控えたい。とりあえず少ない写真ですが・・・見てやってください「谷中村」を。

画像 151
↑ ここは、田中正造が死ぬまで好んで利用したという「雷電神社」跡です。
画像 150
↑ 「雷電神社」の案内。守る会ではなく、自治体がキチンと事実を後世に残すべきだと思う。
画像 155
↑ 「延命院」跡。この「鐘」は、現在の赤麻寺からお借りしているとのこと。
   ケン坊も撞いて頭を下げてきました。行田からきたオジサンも神妙な姿で・・・
画像 157
↑ 谷中村の墓地です。今でも墓石の前に”供え物”がありました。ケン坊は手を合わせるだけ。


今回は、何時も車で通り過ぎていた「谷中村 合同慰霊碑」に初めて寄ってみました。ここも一見の価値はありました。というより、いままで素通りしていたせいか、気持ちの上で何故かスッキリした気分になりました。
画像 176
↑ 旧・谷中村の合同慰霊碑は遊水地の土手の外側にありました。
画像 177
↑ 初めて見る光景にビックリ。
   この碑を囲むようにいろんな碑がありましたが、取り敢えず慰霊碑の中心となる碑を紹介。
画像 180
↑ 慰霊碑を取り囲むのように、周囲にはいろんな形・いろんな供養塔の墓標群が並んでます。


谷中村が政治の力で埋没してしまった「史実」は↓です。

【ネット:Wikipediaより】
室町時代からからこの地は肥沃な農地として知られていた。江戸時代には主に古河藩が開拓を行った。当時から洪水が頻発していたため、古河藩はこの地の年貢を大幅に減免する措置をとった。
しかし、洪水がない年の収穫は非常に大きく、1年収穫があれば7年は食べられるとも言われたほどだったという。

1888年に全国で市町村制度改定があり、内野、恵下野、下宮の3村が合併して成立。渡良瀬川・巴波川・思川の合流地点付近にあった。主な産業は稲作を中心とする農業で、レンガ工場もあった。赤麻沼などで漁業も行われていた。

現在は、村があった場所に渡良瀬川が流れているが、当時は村の西、ちょうど栃木・群馬両県境をうねるように流れていた。その名残が県境の形でそのまま残っている。
詳しい記録は残っていないが、元村民の島田宗三によれば面積13平方キロメートル、人口2700、戸数450。

土地を増やすために当時村にあった赤麻沼の堤の位置を変えようとして失敗。堤が崩れ、沼の水が村内に流入した。この後、大雨のたびに堤が決壊した。
この後、渡良瀬川が氾濫するたびに足尾鉱毒事件により大きな被害を受け、以後、鉱毒反対運動の中心地となる。

1902年、政府は鉱毒を沈殿させるという名目で、渡良瀬川下流に遊水池を作る計画を立てる。しかし、予定地の埼玉県北埼玉郡川辺村・利島村、(現在の北川辺町)は反対が強く、翌年には予定地が谷中村に変更になる。

1903年1月16日、栃木県会に提案されていた谷中村遊水池化案が廃案となる。この時点で谷中村の将来に危機を感じた田中正造は、1904年7月30日から実質的に谷中村に移り住んだ。

1904年、栃木県は堤防工事を名目に渡良瀬川の堤防を破壊。以後、谷中村は雨のたびに洪水となった。同年12月10日、栃木県会は秘密会で谷中村買収を決議。この時、谷中村遺跡を守る会によれば、人口2500、戸数387。面積1000町歩。

鉱毒により作物が育たなくなった時点での価格が基準とされたため、買収価格は1反歩あたり田が20円、畑が30円と、近隣町村に比べ非常に安かった(約5分の1といわれる)。

末期には鉱毒で免租となったために多くの村民が選挙権を失い、村長のなり手がなくなった。このため、最後の村長は下都賀郡の書記官である鈴木豊三が管掌村長という形で兼任した。鈴木は税金の未納などを理由に村民らの土地を差し押さえるなど廃村に協力した。

栃木県は1906年3月、4月17日までに立ち退くよう村民らに命じた。3月31日、村に3つあった小学校のうち2つが、谷中村会の議決を経ることなく強制的に廃校になった(残りの1つは藤岡町立となり、1913年3月末まで存続)。

4月15日、谷中村会は藤岡町への編入合併案を否決。5月11日、栃木県は7月1日をもって谷中村を藤岡町に編入すると発表。7月1日、管掌村長の鈴木は、栃木県に谷中村は藤岡町に編入したと報告。谷中村は強制廃村となる。
この時点での人口は島田の推計で1000、戸数140。しかし、一部の村民は村に住み続けた。

1907年1月、政府は土地収用法の適用を発表。村に残れば犯罪者となり逮捕するという脅しをかけ、多くの村民が村外に出た。多くは、近隣の藤岡町や茨城県猿島郡古河町(現在の古河市)などの親類宅に身を寄せた。
この年、島田による推計で村の人口400、戸数70。最後まで立ち退かなかった村民宅は6月29日から7月2日にかけ、強制執行により破壊された。破壊された戸数は16(堤内13戸、堤上3戸)。しかしこの16戸(田中正造も含む)はその後も村に住み続けた(のちに1戸減)。

1908年7月21日、政府は谷中村全域を河川地域に指定。

1911年、旧谷中村民の北海道常呂郡サロマベツ原野への移住が開始。この地は現在の常呂郡佐呂間町栃木である。しかし、移住民の殆どが定着に至らず、その後の帰県活動へと変遷することになる。

1912年、買収額を不当とする裁判の判決が出る。買収額は増やされたが村民らは不満として控訴。1919年に買収額を5割増しとする判決が出ると、村民らには裁判を続ける気力が残っておらず、そのまま確定した。

1914年、残留村民らが、田中正造の霊を祀る田中霊祀を建設したところ、河川法違反で連行され、裁判で罰金刑を受けた。なお同様の裁判はこれ以前にも数例ある。いずれも、仮小屋に住んでいた元村民が小屋の修理をした際に河川法違反に問われたものである。

1917年2月25日ごろ、残留村民18名が藤岡町に移住。ほぼ無人状態となる。田中霊祀も同年3月に藤岡町に移転した。

その後現在まで無人のままだが、藤岡町内に旧谷中村合同慰霊碑が、渡良瀬遊水地内に谷中村役場跡・雷電神社跡などの遺構があり、見学することが可能である。

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