ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
8年前に願掛けた”石打・こぶ観音”にお礼するために車を走らす...
2017-09-05-Tue  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
H29/09/02撮影 【あれから8年、漸くこぶ観音様にお礼のご挨拶ができた...】


実は実は...ケン坊の身体にはアチコチ瘤(皮下脂肪?)が

        家族から早期の治療を進められたが固辞

   その代わり? 有名な”こぶ観音”を詣でることで

P1660538.jpg

そして8年前にお詣りして戴いた”瘤願成就御守”がコチラ↓

※肌身離さず...ウソ! 車の中でした
P1660437.jpg

今回は先日の”摘出手術”で大物の瘤も摘出終了したので

その中間報告とお礼を兼ねて再訪問...

出先から漸くナビに誘導されて”こぶ観音”に到着しました

前回も苦労したが、今回も...ウロウロしちゃった

P1660536.jpg

境内に駐車場(10台?)もあるが、↑の右手前に広いPも

P1660537.jpg

門の手前左に一軒のお土産さんがありましたが

何だかお店の中を覗く勇気はありませんでした>笑<

P1660529.jpg

雰囲気を感じる門を潜るとその先に明言寺

そう”こぶ観音”こと明言寺...まさかの”永平寺”が本山?

P1660531.jpg

特に混んでる訳ではない...適度に境内の車が入れ替わる

P1660533.jpg

しっかりと”こぶ観音”に頭を垂れてお礼を言い

まだ残る”小さな瘤群”が騒がないよう香の煙を擦りこんで

画像 582

新たなお守りを手に”こぶ観音”を...ありがとうございました





スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0
約束通り? 修復なった”国重文・野木町煉瓦窯”を訪問
2017-05-26-Fri  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
H29/05/20撮影 【バラ園の続きは...同じ野木からレポします】



          <H23年 修理前・煉瓦釜(詳細編)>


  この写真はマスコミ各社が報道しているので有名ですが

          今年は修復一周年というイベントがあり
             (昨年は都合が悪くてイベントに行けなかった)

    お約束どおり修復後の”煉瓦窯”を訪ねてみることに

P1640541.jpg

イベントの日とあって駐車場も出店もドコソコ賑わってました

P1640540.jpg

修復なった”煉瓦窯”見ようと受付へ(大人100円は良心的)

先ずは基礎的な話を受け...ふんふん なるほどね

写真を撮ったりして聞いていないケン坊ですが>笑<

P1640544.jpg

一通りの説明を受け、ヘルメットを被って中へ

P1640547.jpg

(見学する部分は)見るからに修復したって感じがしますが

もちろん、歴史的な個所は当時のままに残してます

P1640548.jpg

史実に基づき”釜の中の煉瓦の積上げ方”も再現してます

P1640551.jpg

中に入ったり外に出たりを繰り返し...

案内は前回同様”煉瓦窯を愛する会”のボランティア活動で

P1640554.jpg

耐震性を強化するために、以前には無かった補強が随所に

P1640560.jpg

投炭孔や粉炭の運搬...これらは当時のままって感じが

P1640568.jpg

P1640569.jpg

P1640573.jpg

これは煉瓦窯シンボルの煙突...地下から組み上げて

煙突の耐震工事も済んでます(違いはH23年と比較すると分かります)

           P1640572.jpg

           P1640563.jpg

釜を支える支柱は5角形で”あすなろ”が用いられている

P1640574.jpg

柱の補修は部分的に行うが”あすなろ”ではないという...

P1640576.jpg

そしてコチラが”塩類風化現象”というらしい

煉瓦は焼き物だが”大谷石”と同様に風化するんですね
※大谷石は塩類風化ではありませんが

P1640580.jpg

P1640581.jpg

約20分? いや30分...丁寧な説明に納得しながら終了

P1640582.jpg

やや濃くなった新緑に融け合うシンボルの煙突が印象的

P1640587.jpg

イベントだけじゃ無く歴史的にも価値あるな煉瓦窯

野木町、いや日本の財産として保存して行きたいですね


ページトップへ  トラックバック0 コメント2
本命の歴史探訪は”真田父子・犬伏の別れ”の密談が行われた薬師堂
2016-07-09-Sat  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
28/07/02撮影 【今は密議が行われた”薬師堂”があるだけで...橋は無し!】


  大河ドラマで信州の”真田家”が脚光を浴びているが

       お蔭?で思わぬブームが起きてる地区がある

 今回は佐野市の”犬伏の薬師堂”が歴史探訪の主役

   歴史的な密談で”犬伏の別れ”が決まった薬師堂

          八百比丘尼堂からつがの里を経由し

  もう少し探すのかなと思ったら呆気なく...着いちゃった

      六文銭の入った幟旗が目立つので直ぐに判った

P1580158.jpg

見学者が多くなると見込んで臨時の駐車場を作ったらしい
(栃木方面から行くと薬師堂の先になります)

ケン坊は薬師堂の駐車場に停められてラッキー\(^_^)/
(薬師堂の手前に駐車場があり数台は停められそうだが...)

           P1580153.jpg

ここが犬伏の薬師堂です

この薬師堂で歴史が動いたんですね~ 真田父子の密談で

P1580160.jpg

横から入いるのは止めて...やはり正面から入りましょう

P1580145.jpg

入れ違いに10人程度の団体さんが出て行き

年配者2組程が見学中  もちろんケン坊たちも年配者>笑<

P1580146.jpg

そもそも何で佐野の薬師堂で密談などを?

当時、家康とともに会津の上杉家討伐に向かっていたが

三成から”豊臣方”に味方せよとの密書を受け取ったため

詳細は↓の案内板を参照してください

P1580147.jpg

薬師堂内は思った以上に整理されていました

これも大河ドラマの影響かな?

P1580151.jpg

【案内板より】

「慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた7月21日、徳川家康
について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子は
下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。
そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう
書かれていました。この書状を受けて父子3人で話し合い、どちらが勝っても真田の家
が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされ
ています。
その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に
架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています」

P1580149.jpg

【ネットより】
慶長5年(1600年)、天下分け目の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、
幸村)が、東軍と西軍に分かれて戦うことを決断した密談の場所だと伝承されている
のが、この薬師堂です。

※原本は”上田市立博物館”に所蔵されていると...
P1580150.jpg

薬師堂と道路を挟んで反対側には”あけみ寿司”があるが

隣の家との境に”別れ橋”があったという案内板が...

地図を見ると近くに三杉川が流れているが、もしかして昔は

三杉川がここを流れていたのかも知れません?

だって、ここは地図上に”米山古墳”と記されているから...

           P1580156.jpg


大河ドラマで”薬師堂の密談””別れの橋”は9月頃放送?

それにしても”真田昌幸”は策士だったんですね~

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの豊臣・徳川大名を翻弄するとは


※参考までに”米山古墳”の案内板を掲載しておきます
P1580152.jpg


歴史探訪と意気込んだ割には呆気なく終了です!

この後は道の駅経由で”田中正造”の生家を見学し
(生家は素通りしようと思ったら魔女が見たことないと言うので)

更に佐野と言えばココ↓に寄り道し、さらに寄り道(レポ済)

※流石に午後2時ともなると行列は無くすんなり...
P1580166.jpg

P1580162.jpg

P1580164.jpg

この日は計7ヶ所も寄っちゃった...山行はダメだったが

スケ的には充実した一日でした(魔女談)  良かったかな


ページトップへ  トラックバック0 コメント2
初めて聞いた・見た”八百比丘尼(おびくに)公園・堂”とは?
2016-07-07-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
28/07/02撮影 【当初、計画に無かった”八百比丘尼堂”を求めて西方へ...】


ある日、栃木市(旧:西方町)の”おびくに公園”が話題に?

        あまり聞いたことの無い公園の名前だが

ゴルフ場近辺を探すと”八百比丘尼公園”という文字

  これが”おびくに”か?...ネットで確認したら正解!

   う~ん最初は消極的だったが、どうせ行くなら...と

       当初の目的地との二本立てに企画変更!

 大体の位置関係を頭に入れて途中までは知り尽くした道を
      (R293大柿十字路を右折し真名子小を左折、トミーヒルズGC近く)

    ほぼ一発で辿り着きましたが案の定、山間の里でした

P1580082.jpg

公園風になっていますが手前は小さなトイレかな?

そして奥にアジサイと水車...長閑の典型的な眺めです

P1580083.jpg

P1580085.jpg

公園というより”憩いの里”って感じで東屋も...

P1580086.jpg

池に木道がくの字に架けられ、紫陽花の花が鏤められ

良い雰囲気ですが正面の伐採が剥き出しで評価ダウンか?

P1580089.jpg

池を渡り終えて振り返ると...こんな感じです

P1580114.jpg

奥に観音堂のような薬師堂のようなお堂が見えました...

今回の目的でもある”八百比丘尼堂”のようですね

さて目的の”八百比丘尼(おびくに)”にはどんな伝説が?

P1580116.jpg

【八百比丘尼伝説】ネットより
 
昔々、子供のいない長者夫婦がいました。二人は庚申様に子供が授かるように祈った
ところ、女の子が生まれ八重姫と名付けました。
姫が7歳になったある日、白髪の老人が訪ねてきて、長者を家に招き庚申様を一緒に
信心したいと申し出ました。
長者は老人の家で不老不死の薬だといって煮た貝をすすめられましたが、肉食を絶っ
ていたので、食べたふりをしてたもとに入れました。
家に帰ってきた長者に、八重姫がすがりつくと、たもとから貝の肉がこぼれ落ち、姫は
それを父がくれたものと思い食べてしまいました。やがて八重姫は18歳になり、美しく
成長した姫のうわさを聞いた帝は都に召し出そうとしましたが、それを知った姫は家を
出てしまいます。
真名子の里を離れた姫は、山道で会った白髪の老人の家で暮らしていましたが、両親
が恋しくなり家へ帰りたいと告げました。
すると老人は、ここを出れば二度と戻れないこと、自分が庚申であることを告げ、屋敷
とともに忽然と姿を消してしまいました。
真名子に帰り着いた姫は、家を出てから800年も月日が経っていることを知ります。
途中、山のふもとの池で手を洗い姿を映してみましたが、18歳の娘のままなので信じ
られません。
やがて姫は尼になり名を妙栄とあらためて巡礼の旅に出ました。そして長く生きすぎた
妙栄は、ついに若狭の海に身を沈めて命を絶ちました。
以後、若狭では八百姫大明神、真名子で八百比丘尼様として祀られ、今に伝えられて
います。

八百比丘尼伝説は、実は日本各地に伝えられている伝説で、若狭(福井)の小浜や
佐渡の羽茂(はもち)が舞台となっていることも多いようです。
呼び方も、地方によって「はっぴゃくびくに」「やおびくに」や、彼女の肌が白かったこと
から「白比丘尼(しらびくに)」と呼ぶところもあるようです。
また、上記の伝説内で語られる「貝の肉」が、「人魚の肉」と伝えられていたりもします。
各地に存在する八百比丘尼伝説を重ねてみたり、比較したりしてみるのも面白いかも
しれません。

まるで浦島太郎の女性版のような感じですが

ところで...浦島太郎は何年後に故郷へ戻ったのかな?

※木造・八百比丘尼座像の案内板
P1580092.jpg

早速、その八百比丘尼堂へ行って見ましょう

先ずは手前を流れる赤津川を渡ろうとしたら橋にゲートが...

通行止め? そこは冷静に判断 猪対策のようですね

P1580113.jpg

なかなかの光景、左の堂が”八百比丘尼堂”ですね

その右手に鳥居が見えるが何だろう?  更に右の小屋は?

※鳥居の手前にも先述と同じ案内板がありましたが...
P1580094.jpg

お堂は階段を登った少し小高い所にありました

多くの石塔・石碑もありますがかなり時を経過し

そんな中で、十九夜様と庚申の塔だけは読めましたが

P1580096.jpg

お堂をアップで...

出来れば”木造・八百比丘尼”をこの目で見たかったが

堂内はぼんやり見えるが尼像は見えず残念でした

P1580097.jpg

諦めて隣の堂へ  関連があるお堂と思ったら...

一つ飛ばしてコチラからレポします

小屋の左には”姿見の池”という表示板がありますが

P1580104.jpg

右手の案内板には”男丸の池”となってます

男丸って何だろうと思ったら”地名”だって

恥ずかしながらケン坊が勝手に勘違いしてたみたい>笑<

P1580105.jpg

               ↓    ↓    ↓   

P1580106.jpg

こんな伝説があるとは~ 寄って正解でした 再び園内を戻り

西方町に伝わる伝説を感じながら...次へ向かいます

P1580111.jpg


あっそうだ 忘れるとこだった

八百比丘尼堂のお隣に建っていた建物がコチラ(↓)

P1580099.jpg

案内板を読んでたら...

五代尊神社&大山祇神社の創建の碑でした

八百比丘尼伝説とは関係なかったです

P1580100.jpg

さ~て飛び込みの歴史探訪の一つをクリアし 次は~~~

ページトップへ  トラックバック0 コメント0
ようやく実現した西場富士&観音山周辺の歴史探訪...
2016-03-28-Mon  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
28/03/26撮影 【天気に恵まれた週末は気になっていた場所を訪ね...】


手軽な里山探してたら大小山に久しく登って無いと魔女の声

       いつものコースじゃ変化が無いとケン坊...

    そこで気になってた”西場百観音”をプラスした

   いつもの通り、阿夫利神社手前の大きな駐車場に停め

        山肌の”大小”の文字を背に逆方向(東)へ

P1550326.jpg

駐車場から歩いて数分で”養老碑”に出会う

今日の目的である”歴史探訪”の一個目ですね>笑<

※公民館敷地の片隅に養老碑、奥に西場富士が聳えてる
P1550330.jpg

江戸時代の分限者が建立した碑なのでしょうか?

※昭和43年足利市の重要文化財(考古資料)に指定
P1550332.jpg

案内板を見ると足利市・西場は古くからの集落らしい

【案内版より抜粋】
~略~
「七十歳以上の者への米の支給、孝子への田の支給と不孝者の処罰、
 堕胎、間引き禁止」などが示されている
~略~

P1550331.jpg

長閑な田園風景とミニ富士山といった風情の集落を

形の良い西場富士を眺めながら歩く

青空に西場富士が映えます...もう気分はルンルン!

P1550333.jpg

更に数分歩くと左手に”村社 稲荷神社”が現れた

左に立派な社務所があり数台分の駐車スペースがあります

P1550334.jpg

鳥居を潜り新しそうな敷石が敷き詰められた石段を登る

※社殿・本殿から鳥居方面を撮ったもの
P1550363.jpg

階段を登り切ると広い境内が現れ、拝殿の奥に本殿が...

稲荷神社だから”商売の神 こんこん様”かと思ったが

この神社は”稲荷”と言う名の稲荷神社だったのでしょうか? 

P1550365.jpg

そして、社殿に向かって右、杉林に入る小径があり

「西場富士 妙義山・大小山→」と記された道標と多くの杖が

※百観音に用事がない人は、ココが「西場富士・妙義山・大小山」の登山口です
P1550367.jpg

今回の目的は”西場百観音”が主なので車道に戻ります

そして数百㍍東に辿ると”西場の百観音”の案内板が

先ずはホッ! 初めてなので看板を見るまでは不安です

P1550338.jpg

山裾に庚申塔・馬頭観音・勢至菩薩等の石碑が立ち並ぶ

※写真はその一部です
P1550339.jpg

コチラは足利市重要文化財(考古資料)に指定されている

左:石造 勢至菩薩供養塔  右:石造 廻国供養塔

※昭和57年指定
P1550341.jpg

そして詳細は、この案内板をご覧ください

P1550340.jpg

そして傾いたコチラの写真...車が1台邪魔していて

モニター見ず腕を伸ばして撮ったら平衡感覚を失った写真に

左の階段を10数段登ると平らな場所に出ます

P1550342.jpg

以前は勧行寺の本堂が建っていたとのことですが

今は小さな観音堂があるだけ...でした

P1550345.jpg

【勧行寺(かんぎょうじ)跡と百番観音】案内板より

創建、廃寺の時期はいずれも明確でないが、本寺(寿福山勧行寺)は、格式のある
修行寺として隆盛をきわめたが、今はお行様(おぎょうさま)と伝えられている。
寛政年間大阿闍梨(だいあじゃり)円海和尚が、西国、坂東、秩父の百番観音を
勧進する偉業をなし遂げ、完全な形で百体の石仏が保存され、往時の民衆の厚い
信仰を物語る貴重な文化財である。

P1550346.jpg

案内板(↑)の右側を進むと直ぐ右側に大木があり

P1550357.jpg

木の根元には鐘楼の跡地を示す案内板

当地にはかつて鐘楼があり、170年の長きに亘り、荘厳な音を近郊にひびかせて
きました。
しかし、先の第二次世界大戦で供出した梵鐘とともにその姿を消してしまいました。
~以下省略~

P1550358.jpg

更に10数㍍登ると一段と高くなった場所に

今日のメイン会場? 西場の百観音が勢揃いしていました

P1550348.jpg

【西場の百観音】 案内板&ネットより

勧行寺(廃寺)跡に石造の観世音菩薩像が百体南面して三段に整然と並んでいる。
これは、西国33箇所、坂東33箇所、秩父34箇所の各霊場の観世音菩薩像を勧請
して造立されたものである。
~中略~
西国・坂東・秩父の霊場巡礼の功徳を分かちあおうとした勧行寺僧侶の布教姿勢
と、それに呼応した村人の信仰の姿を知る上で貴重な資料である。

P1550347.jpg

観音像には前列の右から順に一番から番号が彫られてます

因みに写真の(西国)観音像は一番でした

P1550352.jpg

【大半がネットから】

つまり西場の百観音とは観音山の南斜面の廃寺となった勧行寺の百体の石造
観世音菩薩をさします。
ここをお参りすれば、それらの札所をいっぺんに廻ったことになります。
南向きの斜面に三列の観音像が建ち並ぶ様は壮観で、像はいずれも保存が
良く綺麗で、ひとつひとつ像容が異なり見ていて興味深いものがあります。

P1550356.jpg

【コチラもネット中心に>笑<】

前列が西国、中列が坂東、そして後列に秩父の計百体の石仏が並んでいます。
石仏の建立は千七百年代後半のものです。

余談ですが、「西場の百観音」は、テレビドラマ「ヒミツの花園」
(2007年。主演:釈由美子)でロケに使われたとのこと。

これだけの観音像が揃って並んでる様はさすがに圧巻です

P1550355.jpg

地図にあった観音山(標高79㍍)はこの上?

登ろうと思ったが周囲をフェンスで囲われて敢え無く断念...

最近、猪による被害が多く対策の一環らしい

P1550343.jpg

百観音からの観音山行きを諦めて一旦車道に降りました

次は稲岡観音堂へ(地図で隣だったので...寄り道?)

百観音から道なりに1~2分も歩くと田んぼの中に橋が

風情がある橋なので近づいたら橋の先に青い屋根?

もしや”稲岡観音堂”かな? 偶然でしたがラッキーです

P1550436.jpg

以前、映画「くじけないで」のロケが行われた場所が

近くにあると聞いてたので、もしやと思い

稲岡観音堂の方から歩いてきた年配の方に聞いたら

”この橋ですよ 芦田愛菜ちゃんが...”という
(橋の名は”鶴地橋”らしいです)

橋を渡った先に桜の大木が5~6本伐採されてました

う~ん残念! 桜が咲いたら素晴らしいロケーションだろうに 

【参考:映画”くじけないで”】
2013年秋公開の栃木県在住の詩人、柴田トヨの生涯を映画化したもので、
八千草薫、武田鉄矢、芦田愛菜が出演した 「くじけないで」のロケで使われた
橋です。

P1550443.jpg

橋の先の木立ちの中に青い屋根の山門がありました
                           (天保5年建造)

ここの階段を登ると稲岡観音堂ですね

かなりの階段に見えますが折角なので少し覗いてみます

山門の両側には金剛力士像が睨みを
          (足利市の重要文化財に指定)

囲いが邪魔で写真撮ったものの残念ながら公開できず

P1550439.jpg

途中、スロープ状(車道)の道路を横切って更に階段を登ると

境内奥に本堂の”稲岡観音堂”が姿を現しました

P1550448.jpg

稲岡観音堂も足利市の重要文化財(建築物)に指定です

P1550449.jpg

そして観音堂の隣には朽ちた公園? 

遊具がいくつかあり、以前は市民の憩いの場だったのかも

P1550451.jpg

ここから観音山を目指そうかなとも思い

途中まで登ってみましたが踏み跡も消えたので諦めました

P1550452.jpg

これで足利市・西場の歴史探訪レポは終了です

歴史探訪レポは難しくネットに多くを頼ってしまったが

ネットが正しいとは限りませんので要・注意です





ページトップへ  トラックバック0 コメント6
コエド市場の前に”横山郷土館”に途中下車...
2015-07-16-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
27/07/05撮影 【Pから”コエド市場”へ向かう前に...横山郷土館で途中下車】


        寄り道で忘れかけていた場所を思い出した

             蔵の街・ぶら散歩での出来事?

        寄り道じゃ無く”ぶら散歩”のなかの一ヶ所

先ずはこの(↓)写真...県庁堀と巴波川を繋ぐ堀をご紹介

         そして向う側の塀に木戸のような入口?

P1480639.jpg

           そう ココは”麻問屋の荷揚場”です

     つまり今回のテーマ”横山郷土館”の一部なんです

P1480638.jpg

          そう、ココは巴波川・常盤橋角に建つ

   歴史的な建造物”横山郷土館”で有形文化財です

      先ずは見取り図があった方が理解し易いかな?

*出入口の前(下)が巴波川です
P1490012.jpg

    いま【ガス灯のある 銀行と麻問屋】として

      蔵の街歩きポイントの一つで静かなブームに?

P1480676.jpg

【横山家の概要】 パンフレットから
  水戸藩士の子であった横山定助は武家を嫌って商人を志し、ここ栃木において
  農産物の麻を主力にした荒物商を始めた。
  努力の結果成功すると金融業にも進出して大成し、この建物において横山家は
  隆盛を極めた。
  現在は当時の様子をしのばせるガス灯を付けた七間(約12.7㍍)間口のどっしり
  とした切妻造りの店舗と、それを抱える様に建つ大きな左右の石蔵がその名残を
  留めている。この建築様式は両袖切妻造りと言い、日本の商家では唯一の建物
  として立派に保存されており、平成10年には、文化庁より登録有形文化財として
  認定された。

           P1480670.jpg

        ここもケン坊は外から何度か見ていたが

  魔女が初めてなので”中を覗いて見るか?”と言うことに

       すると今日は入場料無料でした...なぜ?

 リニューアルオープン記念ということで7/1~7/5まで無料だった

P1480643.jpg

        暖簾を潜って入ると”麻問屋の入口”です

  なんか江戸時代のお店の雰囲気がプンプン匂って来ます

P1480669.jpg

 麻問屋の左隣は”栃木共立銀行”という個人銀行なんです

  (明治33年設立  資本金10万円  行員3名  給仕4名  昭和13年廃業)

         手前のカウンターも撮れば良かったのに...

P1480645.jpg

ココは大きな金庫...手前の机は今なら支店長の机かな?

        柱時計が往時の雰囲気を醸し出してます

  上に掲げられた写真は創業者と奥様?  未確認でした

P1480650.jpg

             机の上に展示されているのは

  使っていた備品や事務用品...当時としては進んでた?

          回転式の日付印やチェックライターも

*少しボケが入っちゃってますが
P1480651.jpg

  そして銀行の帳簿...もちろん手書きの銀行出入帳です

            貴重な”元帳”ですね(本物です)

        いや~昔の人は綺麗な字を書かれますね

P1480665.jpg

 そして気になるのは...先ほどから気付いていたのだが

           奥から流れてくる琴と尺八の音(ね)

 奥の大広間に行って見ると”演奏会”が行われていました

       リニューアルオープン記念して今日だけの演奏とか
    
P1480653.jpg

 ケン坊たちは付いてる...グッドタイミングってやつですね

             日本の音楽・楽器って素晴らしい 

     琴の奏でる音色と掠れたような尺八のハーモニー

         ついつい何曲か立ち聞きしてしまいました

*もちろんココも無料ですよ>笑<
P1480663.jpg

          そして琴と尺八の音色を聞きながら

ケン坊たちは庭園を散策...まったりとしたひと時を過ごす

P1480661.jpg

    日本庭園に洋館? 洒落た離れ屋を造ったようです

P1480658.jpg

          洋館のお隣に”稲荷神社”のようですが

                   面白い光景です

P1480655.jpg

     庭園から大広間・新座敷方向を見るとコンな感じ

P1480660.jpg

        翌日からは入館料は大人300円となります

            お琴と尺八の演奏会もありません?

この後、優雅な気持ちで蔵の街・ぶら散歩へ向かいました♪


ページトップへ  トラックバック0 コメント7
大田原の侍塚古墳群 & 復活した道の駅ばとう
2015-04-29-Wed  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
27/04/16撮影 【今回も過去ネタ(速報掲載済み)ですが...ケジメなので】


      県北での視察旅行(7ヶ所)も今回が最終報告?

              1.堂の下の岩観音
              2.道の駅 伊王野
              3.磯上のやまざくら
              4.法輪寺の西行桜
              5.上&下侍塚古墳
              6.かたくりの里
              7.道の駅 ばとう

  最終回は”侍塚古墳群&道の駅ばとう”の2ヶ所

         上侍塚古墳も歩いたが古墳全体が撮れず

             証拠写真を1枚だけで茶を濁す?


    R294を南下し左手に見える如何にも古墳という場所

      そこが松の木に覆われた”下侍塚古墳”です

P1450996.jpg

いつもは下侍塚古墳(↑)一周で”ハイお疲れさん”でしたが

           今回は少し時間に余裕があったので

この看板に従って”歴史の路 下侍塚回遊路”を歩いた後に

        侍塚古墳群(1号~8号まで)も歩いてみた

P1450988.jpg

    下侍塚古墳も少し離れると全体像が見えるのだが

         松の木に気を取られ左が少し欠けた?

P1450998.jpg

古墳群は案内板から回ると8号~7号...と逆回り?なので

            整理して1号墳から順に掲載します


      【その前に、侍塚古墳群のウンチクを少し...】
           (ウンチクと言ってもネットからの情報です)

     指定日  1号墳から8号墳とも昭和41年2月15日(大田原指定文化財)
     所在地  大田原市湯津上
     管理者  個人・・・個人が管理者というのは驚きですね

下侍塚古墳群のすぐ北側に展開する8基で構成された古墳群。かつては10基程度
存在していたようであるが、戦後の開拓等によって消滅したといわれる。
前方後円墳である1号墳、方墳である8号墳を除く6基は円墳とみられている。5号墳、
8号墳は部分的な発掘調査によって、ある程度の状況が把握されているが、大半の
古墳は不明な点が多い。指定はそれぞれの古墳に対して個別にされている。


【1号古墳】 古墳群の中では一番古墳らしい?
(ネットから)
左の下侍塚古墳に比べると小さいが、古墳群中では一番大きく、唯一の前方
後円墳である。全長40メートルで、前方部の一部を畑の耕作によって失って
いる。墳丘上には葺石に用いられたと思われる川原石や円筒埴輪の破片が
散在している。

P1460005.jpg

【2号古墳】 民家に接してます
(ネットから)
径約22メートルの円墳。墳丘上には葺石に用いられたと思われる河原石が
散在している

P1460007.jpg

【3号古墳】 *4号古墳の近くにあったが見落としてしまった
(ネットから)
径約15メートルの円墳。墳丘上には葺石に用いられたと思われる河原石が
散在している。

【4号古墳】 農道脇で古墳上に祠が見えます
(ネットから)
径約13メートルの円墳。

P1460003.jpg

【5号古墳】
(ネットから)
径約27メートル、高さ5.1メートルの円墳。
昭和29年に発掘調査が実施され、墳丘裾部に5メートル内外の平坦部があって、
斜面には川原石による葺石が施されているのが確認されている。
墳頂部及び墳丘裾部の平坦部からは埴輪が出土しており、特に裾部の平坦部
では埴輪が70から100センチメートルの間隔をおいて一重にめぐらされているの
が判明した。埴輪には、円筒埴輪のほか、鷹や馬の形をした形象埴輪もあった。
その他ある程度復元が可能な須恵器や土師器も出土している。
埋葬施設については、墳頂部から掘り下げてその存在を明らかにしようと試み
たが、5メートル以上掘り下げても発見することができずに終わっている。調査
から、古墳時代後期(6世紀代)に築造された古墳と見られている。

P1460002.jpg

【6号古墳】
(ネットから)
径約16メートルの小円墳。墳丘上には葺石に用いられたと思われる河原石が
散在している。

P1460001.jpg

【7号古墳】 古墳の周辺(竹藪)を伐採したような?
(ネットから)
侍塚古墳群の中で最も那珂川よりの位置にある径約30メートルの小円墳である。

P1450999.jpg

【8号古墳】 毎回、遠目で見る古墳です
(ネットから)
下侍塚古墳に一番近い場所に位置する一辺約17メートルの方墳。昭和52年
土地改良事業に伴い周溝確認のため発掘調査が実施されている。
周溝内から土師器器台(はじききだい)の破片が出土していることから、5世紀
前半に築造された古墳と考えられている。

P1450997.jpg

下侍塚古墳から少し南下すると”上侍塚古墳”が見える

     R294から100㍍弱中に入るので目立ちませんが

P1460010.jpg

  以前はまるで藪漕ぎしないと古墳に登れませんでしたが

      今では雑木を伐採したので古墳の形が丸見え

    ただ全体像を撮れるような場所が無くて残念ですね

P1460014.jpg



      1年前に火災に遭い暫く仮住まい営業だった

  人気の”道の駅 ばとう”がリニューアルオープン

P1460032.jpg

     リニューアルオープンして1週間、平日の午後2時

          人の出入りはコンなもんですかね...

     車の数は凄くあるんですが皆さん何処に雲隠れ?

P1460039.jpg

    建物の左半分が野菜を中心とした直売所コーナー

         手前の方には地元産のお土産も並ぶ

P1460036.jpg

           右側半分にはレストランが復活です

                仮住まい営業の時は休業

P1460034.jpg

         ケン坊目当ての”しし丸丼”も復活してます

              次回はシッカリと食べたいです

            P1460035.jpg

        レストランにはそれなりに人が入ってました

            待つようなのでケン坊は覗くだけ?

P1460049.jpg

         結局”しし丸丼”が食べられなかったので

              隣接の唐揚げで我慢のケン坊

P1460038.jpg

      量があり過ぎて車中では三分の一だけ食べて

            家にお土産ができちゃった>笑<

P1460065.jpg


             ようやく、このシリーズは完です

   速報後の本番はどうしても消化試合になっちゃいますね

       まだまだ過去ネタを抱えて...頭を抱えてます



ページトップへ  トラックバック0
佐貫観音・奥之院の”平成の大御開帳”を堪能してきました
2015-03-18-Wed  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
27/03/15撮影 【速報しちゃったので新鮮味はありませんが、詳細に報告...】


62年毎に行われる”佐貫観音磨崖仏奥之院”の大御開帳

        前回の御開帳は明治12年(1879)でした

     そして次の御開帳は戦時中となったため中止に

 結果、今年136年振りに行われた”大御開帳”ということに

       この歴史的な大御開帳を写真でご紹介します
           (動画じゃないですが写真の枚数でカバーします)

    本日の主役である大岩の横顔です...高さは64㍍

P1440540.jpg

  高さ30㍍付近右手に小洞窟があり、別名:大悲窟という

        洞窟を風雨から守るため木の扉があります

 山頂からのロープは御開帳に向けて事前に準備されたもの

P1440549.jpg

  コレから始まる”平成の大御開帳”の時が刻一刻と近づく

            P1440552.jpg

      そしてクレーン車も準備オーケー その刻を待つ

P1440554.jpg

     岩面には”佐貫観音磨崖仏”が彫刻されています

大日如来坐像で像高18.2㍍ 顔面の長さ3㍍ 顔幅1.64㍍

    風雨による浸食や剥落も進み線刻も見えにくく...

    顔の右上が崩落し今後は保存の動きもあるらしい

【ネットから】
佐貫観音は鬼怒川沿いにある石仏で、長年の風雨で傷みや風化、一部が崩落
したりしてますが、文化財保護のために早急な保全対策での調査や、鬼怒川に
架かる観音橋の架け替え工事の完成が2015年春の予定され、更に町制施行
50周年に当たることもありご開帳復活の後押しになったみたいです。

P1440556.jpg

    さて定刻になり、修験者によるほら貝が鳴らされたり

         読経のような声も聞えるが後方なので...

P1440562.jpg

          間もなく観衆の目が山頂へ向けられた

             そして低いどよめきが起こった

  登山家(御開帳作業の補助)が垂らされたロープを伝って

           軽々と言うか、いとも簡単に降りてくる

     見てるケン坊の方が手に汗を掻き、更に足が竦む

P1440564.jpg

            P1440567.jpg

P1440569.jpg

    降り始めてから僅かの2分で踊り場へ着陸(着岩?)

       長いようにも感じたがたったの2分にビックリ

P1440571.jpg

           サポーターが着岩したのを見届けて

  地上からクレーン車で”渡辺副住職”が宙を舞って合流!

【昔の御開帳では】
  もう少し多かった松の木などから網を垂らしよじ登ったとの記録もあるようだが、
  今回は安全第一を重視し、文明の利器の登場となったらしい。

P1440574.jpg

     クレーンから岩場へ板を渡して...副住職が渡る

             またもケン坊の足が竦むシーン

P1440582.jpg

 そしてロープのハシゴを登って洞窟の扉へ一歩一歩近づく

       命綱の操作は補助者が...副住職を安全に

P1440585.jpg

     何度目かの挑戦でようやく一段高い場所へ移動

P1440587.jpg

     そして扉越しに洞窟に向かって読経を始めました

               洞窟の方を指さしながら...

            時おり気合のような声も二度三度

P1440592.jpg

    今度は副住職に代わって補助者が扉を開ける作業

         今度は開くかな? 一緒に身体がよじれる

   どうも扉の角が岩にぶつかるようで簡単には開かない

        バールのような道具を出して何度か挑戦

    何せ高所・悪い足場での作業なので時間はかかる

P1440598.jpg

   外された扉が落下しないように紐で括りながらの作業

         平地で行う作業では無いので止む無し

              そして遂にその時がきた~

P1440603.jpg

P1440605.jpg

               一斉に拍手が湧きおこる

P1440606.jpg

      扉を外され開けられた洞窟へ副住職が潜入?

            136年振りに陽の目を見る洞窟

   洞窟の中の広さは幅2㍍ 奥行き2㍍の空間だという

P1440609.jpg

   入口の扉を慎重に降ろす一方で洞窟からもお宝が...

P1440613.jpg

             次々と明るみになる埋蔵品? 

     いや136年前に奉納した仏像や神像、厨子等々

P1440627.jpg
↑ ケン坊のカメラではコレが限界

    副住職と補助者が洞窟から取りだした仏像と神像を

          地上の観客に見せている場面

↓ コチラは16日の下野新聞に掲載された写真
P1440667.jpg

136年振りに外に出た仏像は地蔵菩薩とみられ高さ30㌢

        もう一つの神像と見られる像は高さ15㌢

                その木造の仏像とは...

↓ これも16日の下野新聞に掲載された写真
P1440669.jpg

    洞窟内から運び出された仏像等々が降ろされます

P1440640.jpg

 大御開帳で洞窟から運び出された宝物の数々が並べられ

         左の方の黒い台には仏像と神像が...

   真ん中辺の袋には厨子やその他のお宝が詰まってます

         そして左右には新旧の扉が並んでいます

P1440646.jpg

  今回(第20回)は”聖観世音菩薩”を納めると言う

    純金の仏像で高さ5.8㌢、重さ200gと非常に小さい

         東海寺檀家代表らが木札を持って奉納へ

P1440642.jpg

 こうして136年振りの大御開帳は本日の作業を終えました

         歴史的な行事に立ち会えて満足です!

 翌日、洞窟内の調査を終えた後に再び扉で閉ざされました

【奥の院に納める聖観世音菩薩と扉】 ネットから
今回、奥之院に納める聖観世音菩薩と交換される扉の木材(モミの木)は地元の
造林業の斎藤俊作さん(65)が寄進した。
直径120㌢と90㌢の2本で樹齢は約90年。ジックリ時間をかけて乾燥させ製材し
高さ1.5㍍、幅1㍍の扉が造られた。
斎藤さんは磨崖仏を手がけたと伝わる讃岐(香川県)の郡司、藤原富正の従者5人
の家系「佐貫五家」の一家です。

          次回の御開帳は62年後となります

↓ 17日の下野新聞に掲載された写真
P1440676.jpg

           速報! 平成の大御開帳(H27年)

         塩谷・佐貫観音磨崖仏奥之院(H24年)



        次回は関連ネタでも掲載しますかね>笑<


ページトップへ  トラックバック0 コメント4
速報! 136年の時を超えて...平成の大御開帳
2015-03-16-Mon  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
27/03/15撮影 【天気が回復して良かったです...大御開帳も無事に】


           この日”平成の大御開帳”

                  136年の時を超え

  塩谷の”佐貫観音磨崖仏奥之院”で行われた

            P1440657.jpg

  その歴史的なイベント...同じ空間にケン坊は居ました

                何度か登場している光景

   左の大岩↓(高さ64㍍)が会場             旧観音橋↓
P1440656.jpg

先ず大岩の上からロープをするすると伝って登山家が登場

P1440569.jpg

     そしてクレーン車で”副住職”が...踊り場で合流

P1440582.jpg

     副住職が足場を確認しながら歩一歩と扉に近づき

             時おり大きな気合を交えて祈祷

P1440594.jpg

    そして登山家が時間をかけて木の扉をこじ開けます

P1440605.jpg

              クレーンで扉を降ろします

P1440606.jpg

      奥之院から”地蔵菩薩、神像”が運び出された

 副住職と行者が眼下で見守る我々に高々と見せてくれます

          写真が小さくて判り辛いのが残念です

P1440627.jpg

            左が外された扉で、右が新しい扉

真ん中の白い袋、机の上は”奥之院”から運ばれた品々が

   なお、古い扉の後ろの柱のようなものは”供養塔”です

P1440646.jpg

       記載内容に間違いがあったらご容赦願います


    今回は速報に付き写真で流れを...詳細は後ほど


ページトップへ  トラックバック0
旧喜連川(現さくら市)の歴史探訪・御用堀と寒竹囲い?
2014-06-29-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(宇都宮以外)
26/05/22撮影 【ポピーを愛でてから約1か月強...喜連川の街をケン散歩】


   喜連川神社の南参道側に出ると道幅の狭い丁字路に

              右折 : 喜連川温泉もとゆ

              左折 : 寒竹囲いの家並み

 取り敢えず温泉もとゆを見てから寒竹囲いを見るかな...


           右折したら休憩所のような屋根?が

              何だろうと思って覗いて見ると

      何てことは無い...ちょっとした休憩所って感じ

P1350286.jpg

        さらに少し歩くと堀を取り囲むような小屋?

    隙間から除くとオロシ器のお化けのようなものが...

        多分、堀を流れるゴミを取り除く装置らしい

P1350287.jpg

【説明板から】
御用掘(ごようほり)、喜連川藩十代藩主、喜連川熙氏(ひろうじ)は領民思いの
名君として知られ、藩の財政建て直しや領民の暮らしや教育に熱心に取り組み、
鍛冶ケ沢の開墾や藩校「翰林館」などを開きました。

特に飢饉や大火から領民を守るため町中どこでも用水が使えるよう生活用水の
確保に気を配り、一八四ニ年(天保十三年)、町を挟む両河川(内川・荒川)から
町内に水を引き入れる用水堀を開削し生活用水、灌漑用水・防火用水として利
用したほか、数十町歩の新田を開拓するなど藩財政にも潤いをもたらしました。

「御用堀」には内川筋の西河原堰から取水し殿町・本町を貫流するものと、荒川
筋野辺山堰から取水し西町・下町を貫流するもの、そして横町・本町・日野町を
貫流するものとがあります。

この「御用堀」は通称「横町堀」と呼ばれ、町民の生活用水に使われておりますが、
平成二年度誇れるまちづくり事業で一部修景工事を施工し、鯉を放流し、「やす
らぎの散歩道」として整備したものです。

平成三年三月 さくら市・誇れるまちづくり委員会


P1350285.jpg

        この小さな堀には大きな鯉が泳いでました

御用堀清掃の関係からか何時もの場所の隣りの位置で...

            P1350284.jpg

                更に歩くと人家が途切れ

  右手にはお丸山公園の南斜面の修復作業現場が...

        そう、あの東日本大震災時に崩落した場所

 ようやく修復作業も目途が...でもまだ重機の音もします

P1350291.jpg

          間もなく”喜連川温泉もとゆ”を発見!

川の反対側でポピーを愛でてた時に土手から見えた建物だ

       リニューアルしたようで清潔感ある建物です

  何処の温泉(湯)もそうですが平日なのに利用者も多い!

P1350290.jpg


  さて、鬼怒川温泉もとゆも確認できたのでUターンします

       そう標柱にあった”寒竹囲い”の場所です

喜連川神社南参道丁字路を左折したら程なく...この光景

P1350294.jpg

【寒竹囲いとは】 案内板より

この寒竹囲いとは、喜連川公方第六代城主茂氏公が、藩士の宅地を囲むのに
板塀などでは製作保繕が大変なので、笹の密植するのを利用して、これを生垣
として推奨しました。この生垣を鼈甲垣ともいいます。


毎年、喜連川神社の天王祭前に生垣の締め直しを行うとか


P1350297.jpg

見た感じでは”寒竹もオカメザサ”も似てますがどう違うの?

     ケン坊は言われても違いは判りませんが>恥<

P1350295.jpg

    どうです この景観!  今後も保存したいですね

P1350298.jpg

       新築したこの家でも笹(竹)を植えたようです

    多分”寒竹”だと思いますが、背丈も伸びてきました

    間もなく竹で両側から押さえ”寒竹囲い”が始まる?

P1350300.jpg

       そして”道の駅きつれがわ”に戻り散歩がてら

             ぶらぶらしてたら雨情の詩碑が

       野口雨情と喜連川って何の関係があるの?

P1350344.jpg

読んで判ったことは

 1.雨情の夫人・ひろは喜連川の旧家(高塩)から明治37年11月に北茨城・磯原の
   雨情のもとに嫁いだとある

 2.詩碑は、雨情直筆の色紙を写したもので、ひろ夫人の生家”高塩武一氏”から
   寄贈されたものであること


P1350343.jpg

     今回、喜連川には余り見るべき所は無いかなと

             軽く考えて歩いてしまったが...

  意外に見どころがありそうなんです  再訪したいです!



ページトップへ  トラックバック0 コメント10
<< 2017/09 >>
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30


余白 Copyright © 2005 ケン坊の日記. all rights reserved.