ケン坊の日記です。
ケン坊の日記
大谷で水鏡に映る景観”陸の松島”を見る筈だったが...
2014-05-04-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
26/04/25撮影 【大谷地区には奇岩が多いですが...廃坑等もあり要注意!】


                 H22/5 大谷の奇岩群


   GWが近づいて水田に水を張った田んぼが増えてきた

        水鏡の季節到来と思い車を走らせたが...

  ケン坊のフライングだったようで水鏡の田はポツポツだ

             ここで諦めて帰ろうと思ったが

  大谷・御止山の駐車場に車を停めてウォーキング開始

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      大谷の奇岩群 越路岩標柱(↑)と案内板(↓)

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          こちらが奇岩”越路岩”の一部です

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手前の田んぼに水が張ることを期待して来たのに残念です

        田んぼはまだまだレンゲが咲いていて...

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         やっぱりダメか~ と周囲を見渡したら

   ??? あれは何? ”ゴリラ?” あれも奇岩なの?

        大きなアザラシにゴリラが乗ってるようにも

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            農道に沿ってぐるりと回り込むと

   公民館に隣接した”岩原神社”の鳥居の前に出ました

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      そして神社脇から先ほどの岩への階段が...

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   危なげな石段を20段弱登るとゴリラの肩辺りに出た

       当たり前だが近くで見たら何だか全く不明!

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    そこから見る光景...”奇岩・越路岩”が見えます

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     そしてゴリラ岩を裏側から見ると...こんな感じ

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         水鏡に映る奇岩を撮るつもりだったのに

   何時の間にか奇岩巡りに化けて1万歩になっちゃった

      最後に”本日の主役に躍り出た奇岩”をもう一度

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大谷観音と大谷の磨崖仏...(GWは安近短で)
2013-08-16-Fri  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
25/05/04撮影 【男体山ネタが纏まらず繋がらず申し訳無い! 古いネタで繋ぎを】


 今年のGWは”安・近・短”と洒落込んだと見栄を張り
             (と言うより、何処へも行けなかった?)

         その中で未報告ネタがあったので...
           (以前、単独行のときに一度掲載はしてますが)

            まずは平和観音の全体像から

           P1200963.jpg

                   そして後姿です

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                  こちらは横顔です

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 魔女が見たことが無いという”大谷観音”を見学することに

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     コチラが大谷観音です...まさに大谷石の下に

       大谷石の洞窟に見事に合わせて作ったお寺

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     家紋は”葵”です...徳川家康の長女”亀姫”が

     時の住職で天海大僧正の法弟・伝海僧正による

     中興を援助し現在の大谷寺の基礎を作ったとある

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        この鬼面のような鬼瓦?は何でしょうか...

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     境内の(大谷石)壁面にはぐるりと祠と像が...

  興味深そうに端から端まで食い入るように見る? 魔女

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            撮影禁止のため掲載できませんが

       大谷観音の”大谷の磨崖仏”は特別史跡です

【大谷の磨崖仏とは】 ネットから

大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)は、栃木県宇都宮市大谷にある磨崖仏である。
千手観音像、伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像の4組10体の
石心塑像が4区に分かれて彫出されている。

このうち千手観音像は現在大谷寺の本尊である。大谷磨崖仏は大分県臼杵市の
臼杵磨崖仏と並んで学術的に非常に価値の高い石仏とされ、1926年(大正15年)
2月24日に国の特別史跡に指定され、1961年(昭和36年)6月30日には「彫刻」
として国の重要文化財に指定されている。


            大谷寺の手前左に宝物館があり

     その奥に庭園のようなエリアが広がっています

  むかし毒蛇の住む池があり・・・今は清浄の蓮池として

          毒蛇をまつり弁才天と崇まれている

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           若い女性が弁財天にお賽銭を...

              何をお祈りしてるのかな?

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             そういうケン坊もお賽銭を...

       もちろん 願いは”一攫千金”のこと?>笑<

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宮のシンボル”大銀杏”は活きてます!
2013-02-22-Fri  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
25/01/28撮影 【市の木”大銀杏”をしみじみと見ました。土塁に登れず残念!】


   アチコチで見かける”大銀杏(おおいちょう)ですが

                  今回の大銀杏は

      宇都宮の”市の木”として制定されています

          かなり古い時代に制定かと思いきや

 市制90周年記念事業(S61年)の一環で制定とは遅くない?

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     昭和32年に”市の天然記念物”に指定され

             場所は宇都宮市の中心部の

     栃木県庁から宇都宮市役所を南北に結ぶ通りと

     南大通りの交差点の(北西)角にそびえています

           *左奥が宇都宮市役所庁舎
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                  推定樹齢400年

       樹高33m、幹周り6.4m、東西10m、南北13m

  秋には沢山の実を付け銀杏を拾う市民も多く見られます

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【市の木(シンボル)になった理由は?】 ネットから

見事さだけではなく、1945(昭和20年)7月12日の深夜、宇都宮市はアメリカ軍の
大空襲により、中心市街地の約半分が焼失し多くの犠牲者を出しました。

この時、この大銀杏もすっかり真っ黒焦げになりましたが、枯れることなく翌年の
春には緑の新芽を吹きだし見事に再生しました。

大空襲にも負けなかった大銀杏の強さに、戦後焼け跡に残された宇都宮市民は
多いに勇気付けられたそうです。今も昔も宇都宮市民の心の片隅にある懐かしい
樹なのです。

今は無き宇都宮城の土塁の上に位置してて、宇都宮城の貴重な遺構の一つでも
あります。

宇都宮市指定天然記念物でもあり、とちぎの名木百選にも選ばれています。


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       樹高33㍍の上部は枝が混みあってますが

          なかなか手入れも出来ませんが...

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          宇都宮市の天然記念物指定の石柱

     柵にはイチョウの葉がグルリとあしらってあります

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*西南側(道路)から階段で土塁の上に上げれますが、震災の影響?で
 危険とのことから立入禁止になってました。あぁ~残念です!

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雀宮宿に”脇本陣”の面影が残ってました
2013-01-06-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
24/12/02撮影 【”雀宮宿”は小さいですが、歴史的には何かありそうな...】

内容が中途半端でごめんなさい


       2年くらい前に一度掲載しようと試みたが

           フライングしちゃったのでお蔵入り

    昨年12月、写真も改めて全部撮り直してみました

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【雀宿について】 ネットから抜粋

雀宮宿は江戸時代に下野国河内郡にあった宿場町である。雀宮宿は、もともと
下横田村の台地部にある村落であったことから台横田村と呼ばれた。

奥州古道の時代にはその中心地は雀宮宿の東方にあったが、江戸時代に日光
街道が整備されたことにより沿道に人家が集まり宿を成し、近所にあった雀宮
神社に因んで雀宮村と改称し、後に江戸幕府によって宿駅とされたものである。

天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、雀宮宿には本陣
1軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が38軒あった。宿内の家数は72軒、人口は
268人であった。

現在も雀宮には旧日光街道である国道4号が通るほか、その近傍を鉄道路線
JR宇都宮線(東北本線)が通り、同線雀宮駅周辺を中心に宅地化が進んでいる
ものの、往古の静かな宿並も残されている。


(江戸から十六番目の宿)
雀宮駅の西口をでて駅前通りをすすんで交差する国道4号線が旧奥州街道で、
雀宮宿の中心だった場所。

江戸期の記録では、宿の長さ六町(600m)ほどで、街道沿いに家が南北に
続く比較的小さな宿であった。現在の雀宮の町並みには、すっかり現代風の
町並みとなり、旧宿場町の面影を感じさせるものは少ない。



             宿場町の面影は消えた?

        JR宇都宮線に現代風の雀宮駅が出現

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【雀宮本陣跡】

    国道4号線の雀宮駅前交差転左折100㍍地点の

   大和田病院とベビー用品西松屋との境界の一角に

        小さな雀宮本陣跡標柱が立っています

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【脇本陣】

      雀宮駅前交差点の左角にある立派な門構えと

            黒い板塀に囲まれた芦谷家は

   仮本陣であったところで当時の面影を今に残してます

         今回はその芦谷家の写真ですが...

   その芦谷家も道路拡張の影響でどうなるのやら不明?

*正門前(右から)
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*サブ門(勝手口?)
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*道路拡張のため南側の塀を壊したので少し庭が見えた...

        今後、道路拡張でどうなるんだろう???
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*北側のJR雀宮駅入口交差点から

      歴史的な仮本陣建築も台無しになるような

  ラーメン店の軒幕が見えますが、ただいま撤去中です
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*駅方面(庭側)から
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【追記】

      雀駅入口交差点を北へ数百㍍ほど行った右に

              大きな馬頭観音があります

      瓦屋根に覆われた馬頭観音は由緒ありそう?

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  あまり手入れされてないようで竹が根を張ってるようだ

      左下の小さな石碑には生駒神と彫られてます

               生駒神は馬の神様ですよね

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>繋ぎネタ? 違います! でも薄っぺらなブログですね<
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国指定史跡”飛山城史跡”公園(in宇都宮市)
2012-02-24-Fri  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
24/02/15&21撮影【ありました...ハンターさんが見たという富士見の絶景ポイントが】


          平成17年3月、国指定史跡となり

  中世の城として”飛山城”が現代に蘇えった
         (お城は再現されていませんので誤解されませんように...)


      その昔、飛山城はこの高台にありました
                  (鬼怒川から見た飛山城跡です)

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  史跡公園駐車場にある”とびやま歴史体験館”

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         そして”案内役のトビーくん”です

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飛山城の史跡をジオラマで位置確認し...

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飛山城跡の案内板で歴史を理解す...

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飛山城入口はこんな感じです いよいよ入ってみます

           今日は中世の城を勉強です

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【木橋(きばし)】ネットから
飛山城には、堀をわたるための木橋がかけられていました。戦闘時には、この木橋を
破壊することで敵の侵入を防ぐこともできます。
堀にかけられた橋には、木橋のほかに、土を積んでつくった土橋や石でつくった石橋
などもあります。飛山城では、木橋が2か所、土橋が5か所復元されています。


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【櫓台(やぐらだい)】パンフレットから
土塁の角部などには土塁の幅が広くなっているところがあり、櫓台と呼ばれています。
橋や堀をわたってくる敵に対して、「横矢掛け(よこやがけ)」ができるように工夫
されています。
飛山城には堀への張り出し部が5ヵ所確認されており、それらは櫓台と考えられます。


ここ(↓)は、土塁登りの体験ということから傾斜が緩やかになっているとのことです
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【桝形(ますがた)】ネットから
6号堀の木橋をわたり次の5号堀にむかうところに、桝形がもうけられています。
これも敵の侵入を防ぐためのもので、コの字や己の字の形に道を曲げたり、門と門の
間に人のたまる空間をつくったりして、敵の動きを止め、これをまわりの土塁上など
から攻撃したのです。


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【門(もん)】ネットから
門は、屋敷地をめぐる塀(へい)や垣(かき)などに、通行のためにつくられた施設です。
飛山城跡の発掘調査では、 門の土台石である礎石(そせき)と柱穴が発見されています。
これらにもとづいて、「塀重門(へいじゅうもん)」という形式の門を復元しました。


【塀重門(へいじゅうもん)】とは
平安時代おわりごろの武家屋敷(ぶけやしき)で、初めて使われるようになった門の形で、
古くは「塀中門」と書きました。
門の上部に屋根や冠木(かぶき)がついていると、家臣が通行するときに旗(はた)や
槍(やり)を倒さなければならず不便なため、2本の柱の間に2枚の扉(とびら)を入れた
だけの門がつくられたのです。
これからあと、この門は武家のシンボルとして広く使われるようになりました。


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【将兵の詰め所】ネットから
このあたりは、発掘調査で掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が多数確認された
ところです。おそらく、将兵の詰め所があったと考えられます。
これらの建物は、壁(かべ)が土でできており、屋根の上に石をおいた板葺屋根(いたぶき
やね)であったと考えられます。


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【古代の竪穴建物】ネットから
飛山城の発掘調査では、平安時代の竪穴建物跡が12軒みつかり、その中の1件から、墨
(すみ)で 「烽家」 と書かれた須恵器(すえき)の坏(つき)が出土しました。
「烽家」は「とぶひや」と読む。「烽」は「のろし」、「家」は「施設」という意味で、
この場所が「のろしを上げる施設」であったことを示しています。


飛山の語源を「とぶひのやま」ではないかという説もあります。
なお、古代の法律のひとつ『軍防令(ぐんぼうりょう)』には、のろしを上げる施設には
その材料をたくわえておく「舎(しゃ)」という建物をおくように定められています。
飛山城でみつかったこの建物が、この「舎」であるかもしれません。


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古代のかまどを再現してますが、隣の消火器は現代のものです>笑<
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【中世の竪穴建物】ネットから
このあたりは、発掘調査で大型の竪穴建物が集中して見つかった場所です。倉庫や兵士の
詰所(つめしょ)があった場所と考えられます。
これらは、人ひとりが十分立てるような深さのある、半地下式の建物です。
調査では、この中から常滑(とこなめ)の大甕(おおがめ)や瀬戸(せと)の卸皿(おろし
ざら)などの陶磁器(とうじき)のほか、小札(こざね)や轡(くつわ)などの鉄製品が
出土しました。


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この奥の少し高い芝生の広場辺りに城があった?

*芝生の奥「北の崖」が崩れて現在は入れません!

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【西の崖(がけ)】ネットから
飛山城のすぐ西側には、鬼怒川(きぬがわ)が流れています。鬼怒川は飛山城の堀の役目も
はたしていて、登ることができないほどの急な崖になっています。
ここからは、宇都宮のまちの様子が一望でき、その先の美しい山並みも望めます。芳賀の
殿様は、ここからどんな思いでこの景色をながめていたのでしょう。
また、ここから南西の方向には、冬の朝と夕方に富士山を見ることができます。このため、
国土交通省関東整備局がすすめる「関東富士見百景」にえらばれました。


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今日は見えません...見えたのは日光連山!
         (手前の街並みは宇都宮市街、その手前は鬼怒川です)

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        中世の城”飛山城”は如何でしたか?
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雀宮神社に合祀されている”実方と綾女”の哀しい伝説とは? 
2011-01-09-Sun  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【雀宮神社には直接関係はありませんが...】1/8

         藤原実方朝臣綾女(奥方)

雀宮という地名や、雀宮神社の名前に纏わる話や言い伝えは、調べていくといくつもあって
どれが一般的なのかサッパリ判りません。

また、地名に限らず、いつ 誰が 語ったのか判らない話が、今の時代にまで受け継がれて
いるが、本当なのかウソなのかも判らない話...だから面白いのかも?

そんな中で、話としては面白い伝説?があったので(後日の)話のタネに掲載します。


【紅雀】ネットから抜粋混合
光源氏だとされる”藤原実方朝臣(あそん)”の話で、都に女性のことで騒ぎを起こした科に
より、青森の地に国造(くにのみやっこ)として単身赴任を命ぜられた。

実方の若妻が彼を慕って雀宮の地まで来たが、風邪がもとで寝付いて、もはやこれまでと
村の女房達を集め

「私は陸奥の国造 藤原実方の奥方です。私はここまで来たが病が重くもう死ぬでしょう。
心惜しいのですが、実方朝臣が来たならば、藤原氏代々に伝わる三種の神器を是非渡して
欲しい」

と言い切ると息を引き取った。

これを知らぬ実方は国実検の途路、落馬して死んでしまった。実方は死して紅雀となり、
雀宮まで飛来し、奥方の埋葬されてある”綾女塚”の上まできて息途絶えた。

あまりにも悲しい物語のため、墳頂に綾女神社と祀り供養し、現在は雀宮神社の境内に
移されたとも、合祀されているとも...。



こんな話を知って、何か雀宮神社にそれらしきモノがあるのかなと思って出かけた。が、
いくつかの碑があるので、彫られた消えかかった文字を苦労して読むと、いずれも関係
はなく...

たまたま境内(神社の北側)に朱塗りの稲荷神社があったので撮ってきました。全く、↑の
話とは関係ありませんが、写真が1枚も無いのでは寂しいと...

↓ 雀宮神社の境内にある稲荷神社です。
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六道辻は戊辰戦争を見ていた(in宇都宮)
2010-04-08-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【旧幕府軍には”負ければ賊軍”の寂しくも悲しい仕打ち】3/22(祝)

宇都宮に”六道”という地名があり、栃木・佐野・楡木・壬生の各方面から宇都宮城下へ入る要衝の地で「六道辻」として知られている場所だ。

この地は「戊辰戦争」の舞台となった場所で、慶応4年(明治元年)4月23日、宇都宮城を奪還しようとする新政府軍と、これを迎え撃つ旧幕府軍との間で激戦が展開された。

この戦いで両軍とも多数の死者を出し、新政府軍の死者は手厚く官修墓地に葬られたが、旧幕府軍の死者は道端に遺棄されたままであったのを、付近の住民が道路脇に仮埋葬し、その後明治7年に六道辻の一角を整地して墓碑が建てられたとのこと。

この六道路周辺には「六道閻魔堂や光琳寺、報恩寺、一向寺」などがあって、少なからず戊辰戦争に関連した寺院です。今回はその中の「報恩寺」にスポットをあてて出かけた。(次回掲載)

戊辰戦争についてはそれぞれにいろんな考え方があるので、今回は戦争があった場所という事実だけ報告します。

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↑ 六道辻の交差点の角に静かに眠る旧幕府軍戦死者の墓域
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↑ 「戊辰之役戦士墓」。明治7年に建立されたもので建立者は旧宇都宮藩士14名。
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↑ 六道辻での戊辰戦争の説明碑
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↑ 「戊辰役戦士墓明治百年祭記念碑」


【うんちく】
六道とは仏語で、全ての衆生が生死を繰り返す六つの世界をいい、迷いのない浄土に対して、まだ迷いのある世界のこと。それは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の世界で、前の三つを三悪道、後ろの三つを三善道という。

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赤門と桜で有名な慈光寺
2010-01-06-Wed  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【ここのヒガンザクラは綺麗ですよ】1/3(土)

赤門で親しまれている「慈光寺」。大通りから慈光寺に向う道路は、今でも「赤門通り」として通用している。場所は県庁並びで100㍍くらい東です。

【慈光寺:ネットより】
慈光寺は1775年宇都宮成綱(しげつな)が開基とされ、宇都宮出身の枝源五郎という侠客(きょうかく)が町民によびかけ資金を集め作ったと言われています。江戸時代に宇都宮城の鬼門にあたる北東の位置の慈光寺に朱塗りの門が1778年に完成した。
その慈光寺の赤門は長く地域のシンボルのような存在だったが、戦時中に宇都宮空襲で焼失した。その赤門が63年振りに「高さ約15メートル」の堂々とした門として20年の秋に復興しました。赤と言っても小豆色で、チョット色が濃いかも・・・
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赤門を潜った第一の境内から見上げる階段に覆いかぶさる「ヒガンザクラ」は、宇都宮で一番早く咲く桜として有名で、樹齢約150年、高さ20mの巨木が花に包まれる姿は圧巻です。

市の天然記念物となっている桜で開花時期にはライトアップされます。桜の季節に改めてご紹介しますので、今回のところは雰囲気だけ味わってください。

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↑ これが慈光寺の赤門です。どうです立派じゃあ~りませんか?
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↑ 門の左の「仁王様」。正式名は次回のときまでに・・・
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↑ そして門の右側にも「仁王様」。正式名は次回のときまでに・・・
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↑ 赤門を潜った第一境内には「お地蔵さん」が。
   そして奥の階段にかかるヒガンザクラの木。古木なので右側から丸太で支えています。
   今年の桜の季節が楽しみです。
画像 729
↑ 階段を登って第二の境内。ここに慈光寺の本堂が・・・
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↑ 「慈光寺 開山500年祈念」と「宗祖 法然上人八百年御忌」の赤門大復興之碑
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夢福神めぐりで「九難除け」
2010-01-05-Tue  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【七福神ではなく夢福神めぐり】1/3(日)

昨年は「上三川七福神めぐり」をしたが、今年は「夢福神めぐり」をしようかと宇都宮市内にある「蒲生神社」へ。
蒲生神社は「学問の神様」として有名ですが・・・まさか「夢福神」とはね~
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↑ 蒲生神社の表参道。相撲にも関係のある神社で初代横綱の明石志賀助の案内板が・・・

【夢福神とは】
 遥か遼遠の頃から中国では、「獏(バク)」は龍と並んで霊獣として人々の信仰を集めています。私たちの悪い夢(厄)や、鉄・青銅(武器)を食べて、良い夢(幸福)と、平和な世界を与えてくれる「獏」の化身が夢福神です。

その「獏」の像を祀った神社を9ヵ所巡って「九難除け」・・・。蒲生神社もその一つであったとは知らなかったが、昨年、蒲生神社を歴史的な感覚で訪れた際に偶然に知り今年こそはと思ってました。
画像 734
↑ 夢福神「九難除け」の神社一覧です・・・

一日で9ヵ所は回れませんが・・・今月中に全部巡ってきたいと思います。
蒲生神社については、昨年1月のブログに掲載したので割愛します。今回は「夢福神」に絞って・・・

なお、栃木県の「九難除け神社」とは、星宮神社・磐裂根裂神社・岩戸別神社・大前神社・蒲生神社・白鷺神社・栃木県護国神社・薬師寺八幡宮・鷲宮神社です。この9ヵ所には「獏」の石像がありますので揃ったら掲載します。

画像 720
↑ 受付で「夢福神めぐり」と言えば必要なグッズが・・・
画像 731
↑ コレがグッズ。手ぬぐい地に「九難の願掛け」が書けるようになっていて・・・
   一難除け、二難除けと順に書いて(巡る順は自由です)
画像 717
↑ 願かけした部分を千切って、指定された場所に結びつけます
画像 732
↑ 最後に残った大きな布は家の中の「神聖な場所」に飾っておきます。

九つの願掛けも良し、同じ望み(願掛け)を九つ書いても良し、それを各神社に1個ずつ結ぶだけでOK。後は夢が叶うことを待つのみ・・・イヤイヤ、もちろん相応の努力をすることが必要ですよ。

ケン坊は何を願掛け(夢)したでしょうか・・・それは内緒。今年は何となく夢が叶えられそうな予感がします?
所詮は予感だけか?>笑<
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釜川の水源見っけ!
2009-07-16-Thu  CATEGORY: 歴史探訪(うつのみや)
【標識のない西弁天沼・・・】
7月12日(日):
今回は「ついに発見、西弁天沼」・・・感動編です。最後までお付き合いを。

前回に引き続き「釜川の水源探し」で上流へ・・・ゴミゴミした街中を通り抜け、閑静な住宅街をとおり、右にあの目印”水道山”が見えてきた。もう上戸祭付近まできたんだな~と思いながら歩く。
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↑ 上戸祭付近。ポイント「水道山」が見える。隣の赤レンガの階段は139段あるそうな。
   元気に階段を上り下りしている姿が見られる・・・。

マツヨイグサが一本だけ咲いていた。澄んだ黄色の花が一際目立っていた。
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↑ 川べりには相変わらず花が姿を見せる。この真っ黄色の花”マツヨイグサ”が綺麗だ。

宇都宮環状道路を過ぎてしばらく歩いたが、いま、釜川は蛇行して北道路を横切り東側へ・・・
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↑ 東北縦貫道路の宇都宮ICに接続する北道路。一般道なのに80㌔制限です。

北道路下をパルティ宇都宮や宇都宮ゴルフクラブを左右に見ながら先に進む。画像 553
↑ 突然に出現した黄色いお花畑。どうやら”キバナコスモス”らしい。

間もなく日光街道を横切ることになる筈で、無理に未舗装を横切って近道しようとしたら行き止まりに。もちろん川に沿ってのことだが・・・
ここで川が二手に分かれた。右が弁天沼で左が目的の西弁天沼になる筈。ケン坊は左手へ向いスーパーオータニの駐車場をすり抜けて日光街道へ出た。
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↑ ここで釜川が二手に分かれる。一つは弁天沼。もう一つは西弁天沼へと続く。

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↑ ここは国道119号線。これを横切りいよいよ水源近し???

でも、ここからが大変だった。川を見失わないようにと川に沿って歩くと、何時の間にか団地に入り込んでしまう。何回も行き止まりを繰り返しながら、最後は家と家のすき間を通り抜けて裏側の田んぼに出て、やっと団地から解放された。が、肝心の釜川を見失ってしまった。

地図をみると(地図が古いのか、建物が移動したのか)、近くに来ていることは間違いないのだが、現場と地図が噛み合っていそうで何かが違う。通りかかりの人に聞くと西弁天沼を知らないという。

近くに立っている筈なのに・・・地図を見ながら周辺をグルグル回ってしまった。時計も2時間を経過してしまった。何度か、行きつ戻りつを繰り返し諦めて別の道を通って帰ろうとした。
すると左手に気になる景色(地図があてにならない)が見えてきた。でも沼などありそうな感じがしない。行こうか行くまいか迷った。だって道が無いんだもん。

ついに決断のトキ。万一、気になるところが目的地だったらこれ以上の後悔はない。意を決して田んぼの巾2~30㌢の畦道を進むと、カエルがそこ退け状態に慌てて両側へピョンピョン逃げる。

何時の間にか左手前方から用水路が・・・釜川だ・・・水が澄んで底が見える。もしかして♪もしかして♪ (もしかしてパートⅡ)期待に胸が膨らむ。
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↑ 水が澄んでいる。釜川の水源に近い。ここでも二手に分かれたが真っ直ぐ進むしかない。

どんどん林が近づいてくる。水源に向って気持ちがはやるが・・・うっそうとした林の中に入るのかと思うと、ちょっぴり気が重い。でも、ここまで来たからには行くっきゃない。
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↑ 川幅は1㍍ない。水源にすごい近い場所。

田んぼが無くなって荒地というか湿っぽい草地に変わり、遠くから見えた林の淵に着いた。そこで見た光景とは・・・鳥肌が立った。手にした水源地の一枚の写真にソックリな場所が・・・
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↑ これが釜川の水源です。沼のようだが単に水溜まりのような・・・。
   何となく下からモワーと湧き上がっているようにも見える場所が何ヶ所かあった。

これが・・・あの探していた水源なのか。人気のないこの場所で、ケン坊は地味なガッツポーズ。感激もんだ。目標達成したど~・・・心の中で叫んじゃった。少し前に道を聞いたところから2百㍍くらいの地点だった。
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↑ コチラの写真が手に持っていた写真と全く同じ光景。水源を確信した場所だ。
   何となく水源の雰囲気はありますよね。

ついに到着・発見です。2時間15分。そして帰りは往路を気分良く帰ったのは当然ですね。
言い訳
 :後半は場所探しのため、グルグルしていて写真を撮ることさえ忘れていたため、いきなり
  水源の写真に。途中経過の写真報告はできませんでした。ごめんネゴメンネ~・・・。
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